2012年1月1日日曜日

“〇〇に恥じない”という美意識

“美意識”って言葉が適切かどうかはともかく。。


昨年末の納会を終えて思ったこと。
納会は社内結婚された先輩方の結婚式形式だった。
そこでの新郎のスピーチに出てきたのが“三三に恥じない夫婦になります”という言葉。
そこですごくぐっときて泣いた。

それは今の自分が三三に対して恥じるべき状態だと感じていたから。
特にその日の全社会議で他の部署の発表を聞いて、自分の部署が一番進歩していないと思った。
進めるべきは私だった。
他の部署と比較するまでもなく、自分がやっていることに情熱を持てていなくて、なかなか仕事が進まないし、目指しているゴールが小さすぎることに対して情けなく思っていた。

だから共感して、身につまされて泣いた。


“〇〇に恥じない”っていう考え方はださいからいやだと思っていたけど、実感してみたらそうでもないと思えた。
結構嫌いな言葉でも、経験によって受け入れられるようになるものだな、とちょっと驚いた。
世間に恥じないとか、下の世代に恥じないとかはかっこわるいと今も思います。
そんな顔の見えない何かに対して自分を評価するなんて、基準がよくわからないし闇雲な感じがする。
今回感じたのは会社のメンバーに対しての気持ちだから、“恥じない”ということを受け入れられたと思う。あの人がこんなに情熱的に行動して成果を出しているのに、と思うと、自分ももっとやるべきだと思えた。
そんな気持ちにさせてくれるメンバーがいることを誇りに思い、そんなメンバーが誇りに思ってくれるような自分になろうと思います。


私に与えられた“マーケティング”という役割は、その人は私に任せるしかない。
だから“村井がマーケティングやってくれていてよかった”と思ってもらいたい。

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