浅草にロシアから来た友達を連れて行った。
その子の写真を撮っていたら、
「あっちを背景にするとスカイツリーが入るよ!」
といきなり声をかけられた。
見ると、いかにも親切そうなにこにこした初老の夫婦。
お言葉に甘えて、スカイツリーをバックに2人の写真を撮っていただいた。
その子はすっかり信用していたけれど、高価な一眼レフカメラが盗られるんじゃないかと思って私はひやひやしていた※。
警戒しつつ写真に収まっていたけれど、もちろん何事もなく写真撮影は終了。ほっとした。
「写真お撮りしましょうか?」
と聞いてみると、
「私たちはこのへんに住んでるからいいのよ。兄妹なの。」
とのことだった。
こんな親切なひともいるんだなあと思った。
でも、警戒されていやな思いをされることも多いんじゃないかと余計な心配をしてしまう。外国人がこの親切を素直に信用できるとは思えません。
それでも親切にするというのは、親のそんな姿をよく見ていたり、すごく困ったときに親切にしてもらったことがあったりして、染み付いているのかなと思う。
親切にされただけじゃなくて、自分の受けた親切のありがたみをよくよく分かった経験があるかどうかというのは大事そう。
「親切」とはちょっと違うけれど、「道徳的に正しいことを積極的にする」ということもまた、そのありがたみとか大事さを実感できているかどうかで決まるのかなあと思う。
妊婦や高齢者に電車で席をゆずるとか、倒れてしまったホームレスの方を助け起こすとか、目の見えない方を案内するとか。
私の大好きな先輩たちは、こういう振る舞いをとても大事にする。
私は、大事だとは思うけれど、先輩たちのように積極的に実践できていない。
その差は、その行為が持つ意味とか価値とかを十分に理解できているかどうかなのかなと思った。
ちゃんと理解するには、とりあえずたくさんやってみる!がいいと思ったのでそうする。
それにしてもロシア人って自分のポートレート撮るのが好きな人種です。
「太ったから写真を見ると悲しい」とか言いつつ、ちゃんとポーズを取って決まってるところがすごい。
カルチャーショックでした。
※初老のいかにも親切そうな紳士に5,000円騙し取られたことがある。。。
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