2013年6月5日水曜日

ブログというコミュニケーション

同僚が一日だけ個人ブログを公開してくれた。
その中には、悩みが吐露されている私のブログポストに対するレスポンスもあった。
そんなに真剣に読んでくれてレスまで書いてくれてたなんて、、、胸が詰まる。
そんなレスには反応しなきゃだし、感想のリクエストもあったので、感じたことをまとめておこうと思います。

※このブログは基本的に読み手を意識して書いたことがないので、だいぶひよってはいる・・・。
けど、「迷ったら勇気の要る方を選ぶ」という私の原則に従って書いてみます。
書き始めたら、コミュニケーションについて、みたいな大きめの話になってしまった。。


■ひとは見た目じゃわからない
身近にいる人のブログを読むということを初めて体験してみて、見た目と考えてることとは違うんだなあと改めて思った。当たり前ですが。

軽やかにしていてもしっかり自分に向き合って考えているひともいれば、深刻な顔してる割にあまり考えていないひともいると思う。
どちらにしても、じっくり話をしたいと思えるひとが近くにいても気付かず、イメージだけでコミュニケーションの取り方を決めてしまうことが大半なんだと思う。
ううん、もったいない。

逆に、好きなブロガーさんでも会ってみたら印象が違った。。。ということもありえるんだろう。

自分が話したいひとを見つけて人生をより濃くするには、先入観持たずに一歩踏み込んだコミュニケーションを取るしかないということかなー。

※星新一さんのショートショートで、初対面同士の会話を弾ませるために過去の経験をことこまかに入力したデータベースを会員ネットワーク内でシェアして、共通の話題を見つけ出す機械の話を昔読んだことがある。
過去の経験もそうだし、考え方についても同じことができればおもしろそう、と思った。
共通なだけじゃなくて、おもしろいと思う要素同士をぶつけられたら楽しい。


■「書く」コミュニケーションタイプ
ひとによって得意なコミュニケーションタイプがあると思っていて、タイプが同じというのは大きいなと思った。
タイプとは、
 [理解する]“読む” or “聞く” x [まとめる]“書く” or “話す” x [伝える]“書く” or “話す”
の組み合わせ・配分だと思っている。

私が一番周りとギャップを感じるのは[まとめる]パートで、話しながら、相手との議論を踏まえつつ考えをまとめることがどうにも苦手だ。
私にとって考えをまとめるというのは、時間をとって文章に落とすということ。

単にアウトプットの方法だけれど、そこが合っているというのはかなりコミュニケーションが楽かも、と思った。


■言葉の力を大事にする人は信用できる
例えば同じ“書く”タイプのひとであっても、合う合わないはある。
同僚のブログを読んで、「言葉を大事にするかどうか」というのが私にとってひとつの大きな基準だなと気付いた。
大事にしないひとは興味がない、というわけではなくて、大事にするひとには特に反応してしまうという感じ。

言葉には独特の力がこもると思う。
どんな名前を付けるか、思ったことのうちどこまでは口に出すか、ひとを何て呼ぶか、、、。
そういうことを意識しているひとは、私にとってかなり魅力的なんだと分かった。


■健全な自信
ブログの具体的な内容についてひとつ触れてみる。
“仕事を辞めようかと思った”という投稿があって、結構ずしんときた。
結果として、同僚は逃げずに今も会社に留まってくれている。

だいぶ大変そうだということはうっすら知っていたし、今の堂々たる仕事っぷりはその経験に裏打ちされているということも理解できる。
でも普段はそういうこと忘れがちだなと思ってはっとした。
健全な自信というものは、逃げなかったとかやりきったとかいう自分が認識する“実績”から生じるんだなと、これまた当たり前のことを思った。
まずは自分自身に恥じないような経験を積み上げて、揺るぎない自信を私もつけていきたいと思う。

そういう“逃げなかった”ことを「よかった」とだけで片付けず、今も判断について考え続けていることも新鮮・・・というか尊敬するところ。


ブログ全体に対する所感というのは難しい・・・。
けど、考えていることをある程度の長さの文章に落としてコミュニケーションに使うというのはやっぱりいいなと思う。

一方で、感情がしっかり言葉になってSNS経由でひとに読まれてしまいかねないという今の世は、だいぶおそろしいとも思うです。
ひとに、本音とかタテマエとか仮面とか毒とかあるってことが直接分かってしまうなんて・・・!
私はあんまり見ないように気を付ける派です。

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