2013年9月24日火曜日

UXをシンプルに保つために

自分たちがユーザーグロースを担当しているサービスのUX全体について、プロダクトオーナーである社長から指摘を受けた。
曰く、なにか問題があったときに説明を追加して解決しようとするのではなく、見ただけでどうすればいいのか自然に誘導されるようなシンプルなUXに寄せていくべきだ、とのこと。
その指摘に対しては完全に同意だし、説明するという安易な解決策に逃げているのは確かにいけてないなと思った。

問題は、なぜ指摘を受けるまでそれに気付かなかったか、どうやったら自力で方向転換できたかということだ。
問題だった点を少し細かく考えてみた。


■UXについての執着のなさ
Keep It Simple & Stupid みたいな、説明しなくても分かるようなUXがいい、という知識はあった。
さらに、ユーザにはどんなに説明しようとしても伝わらないという経験則もあった。
でもそれはあくまで知識でしかなく、徹底して追いかけるものだとは考えていなかった。
そこにこだわるフェーズなのか?という疑問はいまだにあるけれど、そんなこといったらいつまで経ってもUXを良くできない。
精神論ぽいけど、UXに対する執着が足りなかったということだと思う。


■課題解決のための考え方
UXの理想についての執着が足りなかったのに加えて、課題解決のための考え方にも問題があったと思う。
サービスに対するユーザの理解が足りないために問題が起きているとき、解決するには説明するしかないと考えていた。それが前提だった。
それは、「トリッキーな仕組みを提供しているのだから、説明的になるのはしょうがない」という甘えだったと思う。
どんな仕組みだろうとユーザには関係ない。
言い訳してないで、ユーザが考えないで済むかつ迷わない導線をなんとかひねり出さなければ。

説明せずにわかる導線を考えるには、もう一歩踏み込んだり、立ち止まって遠くから見て、もっといい方法がないか検討することが大事だと思う。
当たり前解決で満足してはだめだ。
これでいこうという段階にきたとき、もう一呼吸おいて、ベストを考えようと思う。



2013年9月22日日曜日

タイプ7

仕事でもやもやしていたときのこと。
エニアグラムでタイプ7の上司の考え方にはっとした。



サービスの成功について、今までは深く考えてこれなかった側面で新たな指標を作ることになり、でもうまく考えられなくて悩んでいた。
私はタイプ的にすぐ冷めた目で考えてしまうけれど、特にひとを動かす時にはそのくらいの高揚が大事なんだなあと感じた次第。


そこに通りかかった上司が、最近読んだ本からヒントを得て、「この本のこの考え方をうちでもやってみたらいいんじゃない?」という提案をしてくださった。
それだけなら「そうかも」で終わっていたけれど、そこから
「この考え方でこうやったら、きっとこんな発見があってあんな施策を引き出せて、最高に楽しそうだよ!」
とどんどん気持ちが高まって(気持ちを高めて)いった。
そういう気分のコントロールって自分ではできたことがなかったので、びっくりした。

まずは、その上司とか他のタイプ7のひとがどうやってその高揚を出しているのか、もうちょっとよく観察してみようと思う。

自分の限界を超える意識

ラジオで、フィギュアスケートの羽入結弦さんとヴァイオリニストの加瀬太郎さんとの対談を聞いた。
羽生さんが、あんなにお若いのにきちんと考えていて、しかも他人に伝わるような言葉に落とせていることに感動した。
あと、「一定のレベルを超えたプロ同士の共感」っていうのがかっこよすぎる。
私もなんらかのプロになって、分野の違うプロ相手に深い共感を抱きたい!と思った。
ジェネラリストもいいんだけど・・・。


■プロ同士の共感
どういうところで共感してたかというと、極度に集中した状態というものが存在するということ。
その感覚がどうやら似ているらしくて、お互い「分かるわー。」みたいになってた。jealous.

曰く、あまりに集中すると、自分を客観視できちゃうそう。
演技をしている自分をスケートリンクの外から見ている感じになったり、演奏中なのにコンサートホールの全体が見えていたり。
数年に一度そういうことが起きるらしい。それが本番じゃなくて、練習で発揮されちゃったり。
でもそういう感覚が持てるのって素晴らしい。
本当に集中できることに出会って、実際にのめりこめてるっていう証だと思う。いいな。


■限界を超える
葉加瀬さんの
「本番は練習の何%くらい出せてるの?」
という問いに対して、羽生さんは
「100%です。練習で常に120%出しています。なぜなら、練習は常に自分の100%を超える場だから。」
と答えていた。かっこいい。

日々の仕事もそういうことだな、と思う。
私は甘くて、自分の限界を超えることに、なにか経験したことのない場を踏むとか、大きな失敗から学ぶとか、特別なことを求めてしまう。
でもそうではない。
毎日毎日、ちゃんと自分の限界に挑もうと思った。
「いつもよりもう一歩踏み込んで考える」とか、「定期的な計算業務を3分短縮する仕組みを作る」とか、なにかしらテーマを設定してやってみる。

明日は、Deniseに気を遣わせる回数を減らすという限界に挑もう。。

An Education

台風で外に出られないし、いっしょにいる友だちは読書してるので、時間がたっぷりできた。
ということで、下書きにためておいたブログを一気に書き上げてアップしてみることに。
まずは、結構前に観た映画 “An Education” で考えたことを整理してみる。


邦題は「17歳の肖像」だけど、An Education の方がずっといい。
何歳かなんて関係なくて、女性にとっての教育とはなにかを考えさせてくれる映画だと思った。
学校教育のような、キャリアにつながるものもあるし、付き合った男性に受ける影響(taming? )という意味での教育もあった。
*映画の邦題とか、URLの付け方とか、もうちょっとかっこよくなるといいのに。。。

主演は大好きなキャリーマリガン。安定の透明感とキュートさでした。
たった2コ上だなんて衝撃的すぎる。


総じて、きつい映画だなあと思った。
女性には幸せの形がいくつかあって、どれを選ぶかは自分次第。
でも、どれが一番自分にとって満足できる幸せなのか、周りになんて言われるか、などなど、選んでみないと分かんないことも多いと思う。
幸せの形の種類は誰に何を委ねるかのバランスだと理解している。だから、委ねた相手に裏切られたりすることもありえるし。
女性は選択肢がいっぱいあって、難しい気がする。


■私にとっての“いい人生”って?
誰に何を委ねるか。
委ねて得られるものはなにか。
・・・など考えてみる。
そりゃあ「できるだけ自分で責任を持って決断をして、将来を切り開いていくのが楽しい!」って言えたら一番かっこいいと思う。でも私は必ずしもそうではないと思った。
私の幸せは、身近で大事なひとが幸せで、私のことを認めてくれたり好きでいてくれること。
いろいろ自分で引き受けて決断すると、長期的に周りの“好き”とか承認を得られる。
短期的には、周りに決めてもらったことをしっかりこなすと、褒められたりして承認されてることを感じやすい。
「自分で責任を引き受けて決断する」を意識しつつも、短期的な満足が得られるようにうまいことバランスを取っていくのがいいのかなと思う。


■dirtyでずる賢いひとたち
教育と関係ないけど、David側のひとたちへの憧れって常にある。
あの割り切った感じとか、ものごとの裏側を捉まえてて利用しちゃう感じ。

私の周りには照れくさいくらい真っ直ぐないいひとしかいないので縁がない世界ではあるけれど、映画とかでみるとやっぱりかっこいいと思っちゃうなああ。
そっちの世界をちら見せすることで実際に覗かなくても満足させてくれるから、映画って本当にいいものですね、だな。