2014年10月13日月曜日

リンカーン

随分前だけど、映画「リンカーン」が良かったので感想を書き留めておく。
良かったというか、思いの外身近な話で勉強になった、という印象。

"あの人はこんなにすごかった” みたいな偉人伝的な話かと思いきや、"仕事での成果の出し方” というテーマで刺さるお話だった。
成果 / 結果にコミットして、方法は後からなんとかして考える、的なノリが弊社の雰囲気に似ていて身近に感じた。


■印象に残ったシーン
特に印象に残ったシーンは2つあった。

1. 長いこと衝突していた同僚が、リンカーンのやり方を理解してくれたシーン
その同僚は、「人は人種によって差別されてはいけない。」という理念をリンカーンと共有している人で、議員としてのキャリアが長く年齢も高い、頑固な老人として描かれていた。
せっかく同じ理想を描いているのに、彼はその理想を実現するための方法においてリンカーンと敵対していたという設定。

この映画は、「奴隷制度の撤廃」を法律に盛り込むことを達成するまでのリンカーンの取り組みを描いている。
その当時は当然偏見まみれで黒人の権利を認めようとしない人が多いし、奴隷制度がなくなると経済的に困る人もたくさんいた。
リンカーンがしたいのは黒人に対する差別をなくすこと。彼は自分の大統領任期内でできる最も大きくて効果的な施策は「奴隷制度の撤廃」を法律に盛り込むことだと考え、その取り組みに集中した。
法律の改正を達成するためには、黒人の権利を認めようとしない人に対して妥協した言い方をしたり、お金で票を集めるようなこともした。

一方リンカーンと衝突していた同僚は、理想主義すぎて最初から「すべての人が平等に生きる」という最終的なゴールを主張していた。決して妥協せず、反対派と真っ向からぶつかることになった。
そのもの言いのせいで余計に反対派の不興を買うことになって、現実をなにも変えられない状況になっていても、彼は構わずに理想を説き続けていた。

そんな彼が、リンカーンがどういう思いで反対派に妥協しているかを理解して、自分のスピーチ内容を変えたシーンがとても感動的だった。
リンカーンが掲げる理想が自分よりも低いわけではなく、今今の現実を変えるためにやるべきマイルストーンに集中しているだけだということを感じ取ったんだと思う。

理想の実現のためには自分の感情を脇に置いて行動する姿は美しいなと思ったし、人はこうやって成長できるんだ、と勇気をもらった。


2. 嘆いてばかりで重荷を自分で背負おうとしない妻に、リンカーンがうんざりするシーン
リンカーン夫妻は戦争で子どもを失った。
奥さんはずっとそのことから立ち直れずに、いつも愚痴を言ったりリンカーンを責めたりしていた。
その妻に対してとうとうリンカーンが激昂して怒鳴りつけるシーンがあって、すごくつらかった。

心の強さは人それぞれだと思う。
あまり強くない人は、人に話して不満をガス抜きしたりつらいできごとからしばらく顔を背けて休んだりするべきだと思うし、その中で人に頼ることもたくさんあっていいと思う。
だからといって、まわりへの気遣いを忘れて、立とうともしない態度はだめだと感じた。
私もつらい時に同じように振る舞ってしまうかもしれないので、そのシーンは見ていてとてもきつかった。

元気な今意識しても役に立たないかもしれないけど・・・常に視野は広く持って、まわりの人への思いやりはなくさずにいようと思った。



■仕事について思ったこと
"仕事での成果の出し方” というテーマで見て、勉強になったことについて整理しておく。

この映画での「人種差別をなくすこと」と「奴隷制度の撤廃を法律に盛り込むこと」は、仕事全般においては最終的な「目的」と目的達成への道のりの中にある「達成事項」のといえると思う。

リンカーンは「奴隷制度の撤廃を法律に盛り込むこと」という達成事項の設定がとても明確で迷いがなく、その達成にコミットしきっていた。

翻って、自分の仕事ぶりは「達成事項」へのコミットが弱いと感じる。
今の仕事は、幸せなことにわりと自由に仕事させてもらっているので、「達成事項」もある程度自分で決められる。
目的は理解していて、いろんな「達成事項」の可能性がある中でこれだというものを決めているはずなのに、他の可能性に対する迷いが消えなかったり、達成に対する貪欲さが足りなかったりする。

原因を考えて見るに、要は責任を引き受けきる勇気が足りないんだなと思った。
勇気がないから、 自分の設定した「達成事項」を信じきれないし、その達成に向けて全力で動けていないんだと思う。

勇気を持つということを具体的にどういうアクションにつなげればいいか考えた結果、下記を実行していくことにした。
「達成事項」達成の定義を決める
・達成までの中間ポイントとそれぞれの期限を決める
・本当にその「達成事項」でいいのか、繰り返し考える


ということで、やたら仕事のことを考えてしまう映画ですがおすすめです。


2014年9月5日金曜日

アナと雪の女王

「アナと雪の女王」を観た。
これだけのヒット作なので、観とかなきゃ!というだけの動機で。
ネタバレとか全く気にせず感想を書きます。


歌がどれも質が高くて、お話のテンポもよく、とても楽しめた。
エルサの歌「Let it go」は結構序盤の歌なんですね。
確かに素晴らしいけど、そこまで流行るなんて・・・という印象。現代の日本では「ありのままに生きたい!」というニーズが高いからかなのかしらん。
私は "Do you wanna build a snowman?" の幼いアナの歌の方が好きだなー(幼女好きなだけ?)。

ただ、メインテーマである”愛”については、ちょっともやっとしたところもあった。
作り手が伝えたかったのは、女性が男性からの愛に頼ったりすがったりするのがいけてないということと、愛というのは自分よりも相手のことを大事にすることだということだと思う。
ひっかかったのは後者で、内容は本当にその通りだと思いつつも、”愛”をぱきっと定義しすぎていることが気になった。

作品中で登場人物が愛について話す中で、雪だるまのオラフが "Love is putting someone else before yourself" と言い切る。
後にアナが危険に陥って "an act of true love" だけが彼女の命を救うことができるという設定になり、実際に救ったのは上記の愛の定義を文字通り体現する "act" だった。
ので、物語としてはすごくすっきりしていていいと思う。

でも愛ってそんな単純に言い切れるものではないんじゃないかと思ってもやもやした。
キャッチコピーとかならともかく、映画という表現だったら「愛とはこういうことですマル」みたいな表現にしなくても。
他の登場人物にも違う言い方をさせたり、それこそ"act"でだけ見せて言葉の定義は明確にしないっていうやり方もできたと思うのです。
観た子どもが、愛の一面だけ知って全部分かった気になっちゃうんじゃないかな、と変な心配をしてしまった。
自分にとってすごく大きいものなので、ちょっとした違和感でも過剰に反応してしまっているかもしれない。

というもやもやは抱いたものの、いい映画だと思いました。


しかし、力をコントロールできるようになってアナとも仲直りしたエルサを、わざわざタイトルで "雪の女王” なんて呼んでくれるなと思う・・・。
ぜんぜん仲良し姉妹感がなくてかわいそうだと思いました。

2014年8月3日日曜日

Readme Driven Development

Readme Driven Development 、つまり、開発する時にまずReadMeから書いて、プロダクトの目的や、やること/やらないことを明確に文書化してからコードを書きましょうというお話。
曰く、プロダクトのReadMeに限らず、プロジェクトのゴール設定とか企業理念とかもそうで、最初に言葉にしておくといいですね、と。

私はプログラムを書けない企画側の人だけど、それでもこの話はあるあるだった。
企画チームが出す案には、大きく分けて「目的から発想した案」と「思いつきベースで具体化した案」の2種類があると思う。
思いつきベースで進めた案を整理して開発にお願いする時、目的を後付けすることになって、「整合性取れてないんだけど、、、」みたいなことになりがち。
思いつきベースなのはわるくないけれど、チームのミッションにその思いつきがどう貢献できるかをきちんと考えてから具体化しましょう、という当たり前の学びを得ました。


生き方においても、ReadMe Driven な人とそうでない人がいるなあと思う。
人生における具体的なミッションに沿って道を切り拓いていく人と、ミッションやゴールは不明確ながらもその時々でベストな選択をしようとする人。

ReadMe Driven だと、いろんな判断とその判断についての振り返りがしやすくなっていいと思う。
デメリットがあるとすると、ReadMeが間違ってた時に大変ということと、ミッション達成以外で人生に広がりが乏しくなりそうなところかな。
とはいえ、ReadMeに沿って判断と振り返りを繰り返していたらさすがにReadMe自体に対する見直しとかもすると思ったのでそれはデメリットじゃないかも。
ということで、仮置きでいいからあった方が生きやすそうだと思いました。
ReadMeをちゃんと書くことは相当難易度が高いけれど、、、

吉本ばななさんは、エッセイで「31になって人生の意味みたいなことがわかってきた」とおっしゃっていた。
31ってあと4年か。
そういうことをたくさん考えていそうなばななさんでさえ30過ぎてわかってきたそうなので、普段あまり考えていない私はもっと真剣に向き合わないと、と思いました。




2014年7月28日月曜日

減量

ちゃんと減量するため、毎朝体重を測り始めてもうすぐ2週間。
当初の決意を忘れないように書き残しておく。

動機

ずーーーーっと「やせたい」「やせなきゃ」という気持ちは持っていたんだけれど、食べ過ぎないようになんとなく気を付ける、くらいのことしかしてこなかった。そして結局食べ過ぎて罪悪感を持ったりするという。
今回ちゃんと取り組むことにしたのは、海に行こう!と誘われて、どうしても乗れなかったことがきっかけ。

どうしたら誘いに乗る気になるのかなあとぐるぐる考えていくうちに、問題は海に行くっていうことに限った話ではないと思った。
つまり、自分にとっても相手にとっても、行きたいことややりたいことに制限がかかっている状態は解消したいなと思った次第。

あと、自分のいやなところを少なくして快適に生きることは大事。
もう大人なんだから、そろそろ自分で責任持ってそういうコントロールしてかなきゃいけないなと思った。


やること

細かい現状分析とかその原因とかはここでは書かないけれど、実施することは宣言しておく。
途中で停滞したりするだろうから、月1で見直そう。

・雨じゃない日は走る
そのために、1時までには寝ることと、前日のうちに服と目的地を決めておくことを守る。

・夜中に起きたらとりあえず走る
夜中に目が覚めちゃったときが危険なので、なにか食べる前に走る。考えずに走る。走り疲れたら寝れると信じてやりきる。

・コンビニのデザートコーナーを見ない
コンビニのデザートを買っちゃうのは、食べたいんじゃなくて新しい味を見たいだけ。
見ない。

・甘いもの食べなきゃモードに入ったら食べる前に気を逸らす
周期的に甘いもの食べたいモードに入ると、そういう時期だからしょうがない、と甘やかしちゃう。
そういう体調の変化に耐えられるように、なにかしら気を逸らす手段をいろいろ持つ。一つだと飽きて効かなくなると思う。
今は以下の手段があるけど、もっと増やしたいな−−。
- あめでがまんする
- ハミガキする
- ハーブティーを飲む
- 爆音で音楽を聞く



このポストは、どうしても食べたい、とか挫折したい、とか思った時に読み返す用でもある。
私のことだから、途中で心折れそうになると思う。
そんな時は当初のモチベーションを思い出して、立て直すためにできることを冷静に考える。
あと、海の話をした時の相手の顔を思い出す。自分だけの問題じゃないことも思い出すと効きそう。
がんばろう。





2014年7月27日日曜日

軍人さんが戦場に戻りたがる理由

TEDでSebastian JungerさんのWhy veterans miss war」を聞いた。
彼は20年以上も戦争をテーマに取り組んでいる作家さんらしく、実際アフガンにも行って死にかけたりしているそう。

Talkのテーマは、軍人さんが戦場に戻りたがることについてだった。
軍に入って戦争に参加させられると、娯楽もなにもない状態で長い間過ごすことを強いられ、何度も死の危険にさらされ、そもそも健康で文化的な最低限度の生活さえ送れない。そんな環境なのに、やっと平和な家に戻ってきても戦場に帰って行きたくなってしまう。
それはなぜか?

Sebastianさんは「brotherhoodがあるから」だという。
brotherhoodとは、人とのつながりなんだけどfriendshipとは別物で、平時にはなかなか得られない。
それは自分の安全や利益よりもグループの安全や利益を優先するという同意であって、自分が相手のことをどう思っているかは関係ない。

ざっくりまとめるとそんな内容だった。


このTalkから考えたことは2つ。
  1. 隠れた動機を分析することについて

  2. 戦場に復帰したがる人が多いらしい、っていうのは今までも分かっていたことだけれど、その理由は深く考えられてこなかった気がする。
    「きっと危ない時に出るアドレナリンにやられちゃったんでしょ」とか「ひと目を気にせず暴力を振るえることが実は気持ちいいんでしょ」とか、偏見とか憶測で片付けられちゃっていたんじゃないかと思う。
    軍人さんにそんな話題を振ることはかなり難しいし、人間の本性的なところに触れるのがこわいから誰も突っ込みたくない。
    ※実際アメリカの人たちとかの多くがどう思っているかは知らない。私の推測。

    でも、間違った偏見とか憶測からは、効果的な対策案なんて出てこない。
    してほしいことがあるのに相手がしてくれない時や、してほしくないことがあるのに相手がやめない時、一度立ち止まって相手の動機を考えることは大事かも、と思った。

    私の仕事でいうと、ユーザさんのbehaviorについて考えることになる。
    だいたいは動機に察しがつくというか、「実は・・・!」みたいなことにならないけど。。
    でも、こちらが察した動機(仮説)に沿って何個か施策を打ってもなかなか成果出ないな、という時に意識するのは意味がありそうと思った。
    ユーザさんにインタビューとかしてみたりすると、隠れていた動機が浮き彫りになったりして、打開策が出てくるかも。


  3. brotherhoodをmarketing / activation施策へ応用することについて

  4. brotherhoodがそんなに強い動機になるなら、うまく作り出せばユーザさんに行動してもらうための強力な施策になるんじゃないかと思った。 brotherhoodの本質からはずれるかもしれないけれど、自分のじゃなくてユーザコミュニティの利益を意識してもらうことがうまく演出できたらなあというイメージ。 wikiを編集する人たちのモチベーションが近いのかもしれない。
    でも、まだ自分の仕事に取り込むイメージはうまく作れなかった。施策を作る時の考え方オプションとして持っておこう。

このTalkから感じたことも2つ。
  1. 平時のつながりを信じられなくなるなんてかなしい

  2. brotherhoodが強かったからといって、普通の友だちや家族のつながりが頼りないものに見えてしまうなんてかなしすぎると思った。 Sebastianさんによると、平時の社会に戻ってくると、誰に頼っていいのか、誰が自分を愛してくれるのか、誰を愛せるのか、人とのつながりが分からなくなって苦しむのだそう。
    戦争に行く前は心から安心できた場所だろうに、、、かなしい。家族もどうしていいか分からなくてつらいだろうな。


  3. いかにもNYerっぽい発音かっこいい

  4. Britishな発音はとても素敵だけど、Rの強い迫力のあるアメリカ英語もかっこいいです。憧れる。
    Britishに感じるようなわざとらしさがなくて、こなれてて力強い感じいいなー。相手や場面によって使い分けできることが最強な気がしてきた。







2014年6月29日日曜日

知能と知性

知能ではなく知性ある人になりたいですね、という話を事業部長から聞いた。
ぱっと聞いた感じ、学生でいうところの"勉強ができる”と"頭いい”との違いみたいなものかなくらいに思いつつ、初めて聞く話でおもしろいと思った。
事業部長はとても好きなので、"おもしろいで終わらせるんじゃなくて話を聞く前と後でアクションを変えて成果挙げるのに活かしたいなと思って考えてみた。

まずは事業部長のお話(と、それに対する社長のコメント)をそのまましてみる。
■事業部長のお話要約
<知能のある人と知性のある人の違いについて>
両者の大きな違いは、ものごとを深めて考えられるかどうか。
・答えがなかなか出ない問いに直面したとき、取る行動が違う
→知能のある人:割り切る
→知性のある人:腹を決める

<割り切りと腹決めの違いについて>
・リスクの捉え方、選択した後の心持ちが違う
→割り切り:リスクの少ない選択肢の中からどれかを選択して受け入れる、受動的な意思決定。心が楽になる。
腹決め:リスクを厭わず選択を模索し続ける、能動的な意思決定。心は楽にならず、決めた後も考え続ける。

ふむ。
聞いただけだと、そうかも、となんとなく分かった気になって終わる感じ・・・。
ちゃんとアクションにつなげるには、、ということで、次のような観点で自分なりに考えを深めてみた。


理解を深める
具体的にはどんな感じかイメージする
例示は理解の試金石、、、というか、誰かを思い浮かべないとよく分からない。
身近な人でそれぞれに当てはまる人を挙げてみた。
あと、職種でいうと、知能のある人:アナリスト、知性のある人:個人事業主をイメージとして置いてみた。

・"知性”は"知能”を包含するか
全然別のものということではないなと思ったので、どういう関係性なのかを例示で考えてみる。
・アナリスト:
必要となる考え方なり分析手法なりのスキルがあると思う。これが知能と考えていいかな?
・個人事業主:
自分で自分をドライブする力と、進む方向性とかアクションを決めていく覚悟や腹の据わりが必要だと思う。覚悟だけあってもうまくいかないので、進む方向性とかを決めるには知能が必要と言えそう。
でも、アナリストほどの分析レベル、分析の範囲があることは必ずしも重要じゃないと思う。分析結果からだけじゃサービスの方向性は決められないし、個人事業主の場合は仮説ありきの分析になると思うから。

"知性”と"知能”はちょっとずれて重なる2つの円みたいなイメージ。


知性の斜線部分は、覚悟とか腹の据わりの部分。
知能の方の斜線部分は、高度な分析をしたり、あらゆる側面からデータを見たりするスキル。

知能に基づかないけど、リスクを取る選択をする上で大事。

あんまりきれいに整理できなかったけど、イメージはなんとなく掴めたので・・・。




「自分ごととする」という考え方とは関係があるか
社内で最近話題のテーマ「自分ごととする」と同じような考えじゃないかと思ったので、本当にそうか考えてみる。そう思った理由は、例で挙げたアナリストと個人事業主の違いってまさにものごとを「自分ごと」と捉えているか否かじゃないかと思ったから。
上で考えた"知性”と"知能”の関係性と突き合わせると、知性の斜線部分は「自分ごと」意識がないと持てない部分として当てはめられると思った。
→同じようなテーマなんじゃないかしらん。

これまでの考えから自分なりにまとめると、知性がある人っていうのは下記の2つの特徴を持っているということかと思う。
・ものごとを自分ごととして捉えている
・自分の描くゴールにたどり着く道具として知能を活用する

合ってるかは知らないけど、アクションにつなげられそうなところまで整理できた。
で、具体的にはどういうアクションを取ればもっと成果挙げられるようになるんだっけ?


■アクションを決める
まず現状の自分とのギャップを考えると、足りないのは「自分ごと」感だと思っている。
これは半期の振り返りなどでも常々思っているんだけど、どうしたら持てるのかよく分かっていない。いけてない・・・。

・どのくらいを目指すか
自分が仕事してて居心地よくいられるくらいになりたい。ということで、データアナリストという立場ながら自分ごと意識もって働いている同僚くらいを目指す。それってどのくらいかというと、次のような感じ。
- 事業全体に自分ごとを持っている
- 自分ごとなので、担当した仕事を最後まで責任をもってやり通す
- 自分の担当じゃなくても、もっとうまいやり方を考える

・どうやってやるのか
1. 社内SNSで、各チームの進捗とか関心を知る
2. 事業部会議の後に、それぞれのチームがしていることに対して自分がとれるアクションを考える
事業全体に対する関心を高めるには、、、ということで上記をやる。

3. 週次でその週にした判断に対する「自分ごと感」採点をして改善案を決める
でも関心を持てたからといって自分ごと感を持てたことにはならないと思う。
日々の判断において、自分ごと感があるときとないときの違いが出てくるはず。どういうときに足りないのか、どういう判断に改善できるのかに気付かないといけない。ので気付くきっかけを作る。

本当は毎週の社長の話もちゃんと考えてアクションに落とさなきゃいけないけど、今は特に好きなひとの話について考えるくらいで自己満してしまおうー。

2014年5月13日火曜日

嫌われる勇気

先輩がFacebookでおすすめしているのを見て、「嫌われる勇気」を読んでみた。
「もっと深淵な学びが得られるのに、タイトルで損してる」という先輩のコメント通りの内容だった。
「嫌われることを厭わず、目標達成に必要な行動を起こさないとってことでしょ。そうだね。」とか思ってたけれど、そんなものじゃありませんでした。


■どんな内容?
アドラー心理学の考え方を対話形式で紹介する内容。"嫌われることを厭わない"という内容は、そのほんの一部。
悩める青年がアドラー心理学のスペシャリストである哲人のもとを訪れ、幸せとはなにか、どう生きるべきかなどについて対話を重ねていく。

アドラー心理学について軽くまとめると、、、
主な特徴は、下記の4点に整理されるんだそう。

・全体論:
人間を分割できない全体として把握する。理性と感情・意識と無意識などの対立を認めない。
・目的論:
行動の原因でなく目的を理解しようとする。過去のトラウマや育った環境などからの呪縛を認めない。
・認知論:
客観事実よりも、その事実に対する個人の主観的認知を重視する。(Glass half ful or half empty の話)
・対人関係論:
精神内界よりも個人とその相手役との対人関係を理解しようとする。

そして青年が問いただしたい”幸せ”は、アドラー心理学で
自分がコミュニティに所属し、そのコミュニティに貢献していると感じられること」
と定義されている。


■なぜ学びが得られるの?
いわゆる”常識”とは違う考え方が多いから新鮮だった。
同じ問題について別の見方をするきっかけになったり、試しに実践するということがしやすいと思う。
既に持っている”常識”の延長線上だと、「それ知ってるけどなかなかできない。。。」で終わっちゃいがちだから。
特に「目的論」の考え方はおもしろい。
いま起きている問題は過去の行動などの結果ではなくて、無意識に持っている目的を達成しようとして起こしちゃっているという考え方でした。


■具体的にはなにを学んだの?
考えさせられることが多かった中で、特に学びがあった点を整理しておく。

  • 今起きている問題を「目的論」で考えること
普通は原因があって結果があると考えるから、今起きている問題は過去の経験や環境の結果だと認識する。そういう考え方だと、過去に囚われてしまって今を変えられないが、大切なのは”いま、ここ”である。
問題には意識/無意識両方含めた「目的」がある。一見本人が解決したがっている問題でも、真の「目的」に沿っているから解決することができない。
<例>
「小説家になりたいけど、なかなか小説を書く時間がとれない」という問題
うわべの問題:
仕事が忙しくて時間がとれない、家でひとりになれる環境がない
目的:
「書きさえすれば受賞するはず」という可能性を残しておきたい

過去のせいにしてしまうのは苦しいけれどある意味楽だからやってしまいがち。それに向き合う手段として、目的論を持っておくのは有用だと思った。

  • 「自分の課題」と「他人の課題」を整理すること
「その選択によって最終的な結果を引き受けるのは誰なのか」という観点で課題を整理し、人の課題には踏み込まない。そして自分の課題には人を踏み込ませない。
ただ、他人の課題であっても、その人が課題に向き合えるようにサポートすることはできる。
<例>
「こどもが勉強しない」という課題
こどもの課題であって、親の課題ではない。なぜならば、勉強しないことによる結果を引き受けるのはこどもだから。
親ができるのは、こどもに「自分は勉強ができる」という自信を持たせるなどしてサポートすること。

「自分の決断に対して相手がどう思うか」ということも相手の課題。
自分はなにができるか、なにに対して責任を負うべきで、なにに対して気にしないでおくのか見分けるのは相当大事だと思った。

  • 議論を通して呑み込みにくいことに対する理解を深める方法
この本はアツい対話形式で構成されていた。青年は自分とは全く違う考え方を知って、時に反発し、時に憤りをぶつけ、徐々に理解を深めていく。
この形式がとても勉強になった。

私は新しい課題とか考え方を聞いた時、自分なりに言葉を置き換えて繰り返すことで理解が正しいことを相手に確認することをしている。
でも、あとから理解が全然違って涙目になることが多く、困っている。
この問題のヒントとして、青年の哲人に対して議論を展開するやり方や、問いただす方法が活用できそうだった。下記の内容を試していこうと思う。

・とにかく「なぜ」を問う
・反例をぶつける
・真っ向から否定し、自分の考えとの相違を説明する
・ラベル付けしてみて、違いを説明してもらう
混乱し始めたらすぐそう伝える
・「極端に言うとこういうことだけど、それだめじゃない?」と聞いてみる



  • 本からより多く学ぶ方法
読んだ本からより多くを学び活用するために、今回読み方を変えてみた。
いつもは全部読んでしまってから内容を振り返ってまとめたりしていたところを、今回は章ごとに振り返って、内容と疑問点、自分の考えを整理するようにした。これが良かった。

今までは理解したつもりになっていたが、自分のものとしてしみこむところまでいかなかった。
それは、自分の考えとの相違が整理できていなかったからだと思う。
私は頭の中でささっと整理しながら読み進められるタイプじゃない。
なので、新しい概念を一つ一つ自分の中で再構築することで、その概念が自分にとってどんな意味を持つのか分かるようになった。
また、次の章はその整理に基づいて読めるので、疑問・反論のポイントが明確になった。
さらっと読んじゃうと、「そう言われればそうかも」で終わっちゃうんだなと実感した。


■なにを実践するの?
さしあたっては、「やせる」という問題において実践してみる。
これは長いこと無駄に頭を悩ませている問題で、根本的に考え方を変えるというのはいいトライだと思った。
問題は、夜中に目が覚めていろいろ食べてしまうので太ってしまい、つられて昼間の意識も甘くなってしまっていること(昼間我慢して夜中の暴食が悪化しないようにとか、ちゃんと食べた方が寝れるかも、、、とか)。
まずは問題の捉え方を変えてみる。

今までの考え方:
やせないのは、夜中に起きてしまうから。
起きてしまう原因は分からないし解決できない。起きると抑制がきかなくてしぬほど食べてしまう。
朝走ったりして、相殺しようとがんばってはいる!

アドラー心理学での考え方:
やせないのは、現状を変える勇気がないから。
「現状を変えたくない」という目的があるから眠れないという事態が改善されない。
眠るようになると、努力が足りないことに言い訳できなくなってしまうから、自分という人間全体のプロコンで考えると、眠れなくても食べちゃうことに言い訳がきく方がいいと判断している。

実施する具体策はいろいろあるけれど、ここは特に今までと変わらない。
ただ上記の通り意識が変わるだけで、我慢できる程度が上がる気はしている。ここは実際にどう変わったか振り返りが必要。1週間後に測ろう。


■所感
「7つの習慣」と本質的に重なる部分も多くて、どんな経験をどの切り口から切っていっても、最終的にたどりつく”真理”というものがやっぱりあるんだなと思った。読んでよかった。

「7つの習慣」でも出てきた名言がやっぱり心に残ったのでメモ。神よ救いたまえ。
God grant me the serenity to accept the things I cannot change; courage to change the things I can;and wisdom to know the difference.

2014年3月1日土曜日

Bill Cunningham New York

ビル・カニンガム&ニューヨーク」を観た。
NY Times の On The Street は見たことがなかったし、もちろんビルのことは知らなかったけど、なんとなく気になっていた映画。

私はファッションに対する関心が強いわけではない。
でもこの映画に惹かれたのは、彼が何かに夢中になってる大人げない人だからだと思う。
心からうれしそうに人々のファッションを観察して写真に収める姿が、本当に魅力的だった。
観終わった時、彼のその夢中になっている姿がやっぱり素敵だなと思ったし、ファッションというものに対して考えさせられた。



映画の中でビルは、ファッションとは個性を表現するものだと語っていた。みんな個性があるのに、勇気がなくてつまんない格好をしている。だからその中でも個性を堂々と表している人を撮るんだそう。

私の考えは少し違う。ファッションは基本的にコミュニケーションの手段で、以下のようなことを見分けるのに役立つと思っている。


  • 自分と話ができそうかどうか
良くも悪くも、どういうひとなのかぱっと見で判断してしまう。
私だったらあまりにファッションコンシャスなひとには話しかけるのをためらってしまうし、シンプルでさりげなく上質な服のひととは話してみたいなと思う。
  • どういう態度でその場に臨んでいるのか
アクセサリーを着けているか、ジャケットなのかカーディガンなのか、どんなネイルをしているか、などで、そのひとの本気度みたいなものが伝わる。
そういうフィルタリング機能があることを意識して選んでいれば、エキセントリックな服ばかりじゃなくていいと思う。普通の服でも、好みによって細部にバリエーションがあれば楽しい。みんながみんな、ファッションで個性を強く表現すべきだとは思わない。
自分の存在を主張したり認めてもらうためにするのが自己表現だとしたら、どう見えるか、よりも何をどうやってやるか、で示せばよいと思うから。


ビルのような考えは、ニューヨークという土地柄ならではかもしれないと思った。
いろんな国籍、野心、アイデンティティを持ったひとたちが集まり、見知らぬひと同士が活発に交流する街だから、ぱっと見で分かるくらい強く個性を主張する文化なのかも。

そうだとしたらその文化はすごく刺激的。一度味わってみたいと思いました。

2014年2月9日日曜日

シンドラーのリスト

今さらながらシンドラーのリストを観た。
なるほど名作と言われるわけですね。長くて重いけれど、観てよかった。

シンドラーという人に、そして大げさに言うと人間がどこまで尊くなれるのかということに、かなりびっくりした。


話としては、ナチス党員のシンドラーという事業家さんが、アウシュビッツで虐殺されそうになっているユダヤ人たちを「自分の工場の労働力だ」と言い張って、1,000人以上を故郷に連れて帰って助けるというもの。
最初はそれこそ安い労働力としか見ていなかったのに、一人一人が尊い命だと気付いていく。最後には、「人を殺すものを作りたくない」とか言って、工場で作る武器もわざと規格外のものしか生産しなくなったくらい。
その行動は、極端なひとだなあと思いこそすれすごいとは思わなかったけれど・・・。

びっくりしたのは、戦争が終わって彼が工場から去るシーン。
1,000人以上の人を救い養ってきた彼は、皆から感謝の言葉と贈り物を受け取ると、「もっと多くの人を救えたのにしなかった」と泣き崩れる。
これだけ感謝されておいて、抑えきれないほど自分への責めを持っているなんて。
予想外だったし、切なくなった。

このひとは分かってやっていただろうに、とも思った。
自分の力には限界があるとは知りつつ、一部だけでも救いたいという割り切りのもとで動いていたはず。
でもその割り切りは、相当がんばって無理やり整理したものだったんだと思った。救いたい、なんとかしたいというどうしようもなく強い気持ちを、力ずくで押し込めていたんじゃないだろうか。
そんな尊い気持ちが強くわきあがってくるなんて、すごいひとって本当にすごい。


シンドラーさんとは対照的に描かれているのが、ドイツ軍の偉い人Armonさん。
冷徹で、非道で、ユダヤ人たちを殺すのを楽しんでいる。
でも全く救いようがない分かりやすい悪人ではなくて、このひともある意味戦争の犠牲者かも、と思わせるような描き方だった。切ない。

戦争という状況だから、自分に見合わない権力が与えられてしまう。
それが勘違いだと薄々気付きながらも、その力に溺れてしまう。
それはそれでかわいそうではあるけども、はた迷惑だなあと思ってしまった。



しかしシンドラーさんの使う英語はかっこよかったな。
究極にシンプルな言葉に突き詰められていて、怒る時もリズミカルだった。
ここにQuoteがいっぱいあります。


2014年1月5日日曜日

Mission Statement

毎年読み返すことに決めている『7つの習慣』、今年は年末年始を利用して通読した。

まじめに本質を考えると“真理”みたいなことは確かにある、とこの本を読むと思う。いろんなひとがいろんな「人生のコツ」的なことを言うけれど。
私には『人を動かす』とか『自分の小さな「箱」から脱出する方法』とか、読み返したいと思える本が他にもあって、言葉選びは違えどそれらは基本的に同じことを言っていると感じる。

これだけ多くの人が読んで頷くんだからみんなが分かってることではあるんだけど、その真理を言語化し、優先順位をつけ、破綻なくまとめあげようとすると、できるひとはほとんどいない。すごい価値だと思う。
鍛えればできるようになるかもしれない。でも私は偉大な先人のまとめを読んで賞賛するだけがいいかも。

ともあれ、「第2の習慣:目的を持って始める」に出てくる“Mission Statement”を作ってみた。そして、作ったからには恥ずかしげもなく公開してみる。
願わくは、折にふれて修正しながら一番大きな指針として機能させたい。
※本に出てきた例に共感しすぎてほぼ一緒になっちゃったとか、言葉選びが未熟すぎるとか、そういうのみんな気にしない。



使命:
愛をもってまわりの人の役に立つこと

姿勢:
・豊かな愛を持つ:
相手を理解しようと努め、深い思いやりを態度と行動で示す。

・物事を推進する:
まわりのためになることに対して、理想を掲げ、責任を持って物事を動かしていく。

・進歩し続ける
周囲に与えるインパクトを大きくできるよう、人格・能力を伸ばす努力を続ける。

・楽しむ
常に楽しさや喜びを見出し、ポジティブな空気を生み出す。



愛とか言いすぎて大変恥ずかしい感じですね。
“愛”って単語は強烈すぎてあまり使いたくないけれど、他にうまい表現が見当たらなくて。。。
思いやりのもとというか、心から誰かのことを思う気持ち、くらいの意味で使っています。

使命を決めるにあたり、どういう存在でありたいか、私がいることでどんな変化が起こるとうれしいかと考えた結果、私にとって必須なのは“役に立つ”ということだと再確認した。それが実感できていると居心地よく感じ、安心していられる。
じゃあどのように役に立ちたいかというと、相手の気持ちをあたためたり喜ばせたりできるといいなあと考える。
それには、相手が本当にうれしくなることをそのひとの身になって考えることが大事。考えたことを実現する力も必要。
それだけの単純なことを、言葉にしました。

かといって自分を犠牲にして尽くすとかいう悲壮感漂う感じは良くない。
ちゃんと楽しんで、まわりに気を遣わせない、どころかいっしょにハッピーになっちゃうくらいの雰囲気を作りたいものです。

これでいったん意識してみて、違和感が出たところを都度直していこうと思う。



この使命にアラインする2014年のテーマも決めた。

「責任を引き受ける」

去年の反省として、誰かの承認なしには物事を進められない、依存したマインドが良くなかったと考えている。
周囲の意見を気軽に求め、受け入れつつも、決めてやりきることをまるっと引き受けようと思います。


そういえば、去年(前期)は自分の殻を破れていないという意味で“ひよこなみこ”だったとフィードバックをいただいた。
よく考えると、ひよこだったらもう殻破れてるような。
でも響きが気に入ったので、裏テーマは“脱ひよこなみこ”にします。