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2016年1月1日金曜日

Inside Out

2015年最後に観た映画は"インサイドヘッド"でした。
さすがピクサー。2016年もよろしくお願いします。

以下の3つが大きく心に残ったところ。sadnessはもっと理解したかったから、audio commentaryも観てみた。


Sadness

個人的には、自分の Joy がもっと活躍していてくれたらいいなあと思うので、Sadness をあまり肯定したくないけど、、、でも Joy だけじゃだめなんだということはちゃんと理解しました。
1回観ただけでは理解しきれなかったけど、人との絆や自分の成長の度合いを深めるために、Sadness が必要なものだと思った。楽しさだけでは、人に共感したりされたりすることはできないし、深いドライブにならないのかも。

私の頭の中で特に変えていきたいなと思ったのは、失敗したりうまくできなかったりして成長の必要性を感じる時。
たいていは Sadness が支配していて、成長を考えるのにすごくエネルギーが要る。
でも同じような状況で、前職の新卒の子が"成長できるチャンス"をポジティブに捉えているところを見たことがある。彼の中では同じ場面で Joy が活躍していて、もっと楽しそうだと思った。
きっと意識すれば私の Joy も動いてくれるから、まずは"今 Sadness が強すぎるな"って気付けるようにしていこう。


audio commentary を聞いたら、Sadness について上記の理解でほとんどずれていないみたいだった。ただ、"empathy"という自分では思いつかなかったキーワードが出てきてしっくりきた。仕事でも、クライアントさんとの関係構築について上司と話した時に出てきたキーワード。これも意識的に使えるようにしたい。


自己犠牲

一番泣けたのはビーボーが自分を犠牲にして Joy を送り出すところだった。
それこそempathyで、自分でもやりがちだからビーボーに共感しやすくて、一番心が動いたんじゃないかと思う。
すぐに自分を犠牲にしようするのは長期的に見て健全じゃないから、あんまり良いことじゃないかも。

理解のプロセス

分解とか抽象化とかのプロセスが絵になるのがおもしろかった。
単純化して再構築しないと人間は物事を理解できないんだなー。川上さんのコンテンツの話と似たところがあると思った。

audio commentary によると、シンプルそうに見えてここが一番コストがかかったところなんだそう。なぜなら、いつもの制作プロセスと違うから。ここだけ特別チームを組んだそうだし。
制作のアウトプット(がユーザに与える印象)とコストってやっぱり全然違うと改めて実感した。そしてそれが「プロセスの違い」というところが悲しい・・・。単なる組織的な問題というか、純粋なプロダクションではなくマネジメントの問題がコストに跳ね返っちゃうって、どこの組織でもあるあるなんだなあと思った。

2014年10月13日月曜日

リンカーン

随分前だけど、映画「リンカーン」が良かったので感想を書き留めておく。
良かったというか、思いの外身近な話で勉強になった、という印象。

"あの人はこんなにすごかった” みたいな偉人伝的な話かと思いきや、"仕事での成果の出し方” というテーマで刺さるお話だった。
成果 / 結果にコミットして、方法は後からなんとかして考える、的なノリが弊社の雰囲気に似ていて身近に感じた。


■印象に残ったシーン
特に印象に残ったシーンは2つあった。

1. 長いこと衝突していた同僚が、リンカーンのやり方を理解してくれたシーン
その同僚は、「人は人種によって差別されてはいけない。」という理念をリンカーンと共有している人で、議員としてのキャリアが長く年齢も高い、頑固な老人として描かれていた。
せっかく同じ理想を描いているのに、彼はその理想を実現するための方法においてリンカーンと敵対していたという設定。

この映画は、「奴隷制度の撤廃」を法律に盛り込むことを達成するまでのリンカーンの取り組みを描いている。
その当時は当然偏見まみれで黒人の権利を認めようとしない人が多いし、奴隷制度がなくなると経済的に困る人もたくさんいた。
リンカーンがしたいのは黒人に対する差別をなくすこと。彼は自分の大統領任期内でできる最も大きくて効果的な施策は「奴隷制度の撤廃」を法律に盛り込むことだと考え、その取り組みに集中した。
法律の改正を達成するためには、黒人の権利を認めようとしない人に対して妥協した言い方をしたり、お金で票を集めるようなこともした。

一方リンカーンと衝突していた同僚は、理想主義すぎて最初から「すべての人が平等に生きる」という最終的なゴールを主張していた。決して妥協せず、反対派と真っ向からぶつかることになった。
そのもの言いのせいで余計に反対派の不興を買うことになって、現実をなにも変えられない状況になっていても、彼は構わずに理想を説き続けていた。

そんな彼が、リンカーンがどういう思いで反対派に妥協しているかを理解して、自分のスピーチ内容を変えたシーンがとても感動的だった。
リンカーンが掲げる理想が自分よりも低いわけではなく、今今の現実を変えるためにやるべきマイルストーンに集中しているだけだということを感じ取ったんだと思う。

理想の実現のためには自分の感情を脇に置いて行動する姿は美しいなと思ったし、人はこうやって成長できるんだ、と勇気をもらった。


2. 嘆いてばかりで重荷を自分で背負おうとしない妻に、リンカーンがうんざりするシーン
リンカーン夫妻は戦争で子どもを失った。
奥さんはずっとそのことから立ち直れずに、いつも愚痴を言ったりリンカーンを責めたりしていた。
その妻に対してとうとうリンカーンが激昂して怒鳴りつけるシーンがあって、すごくつらかった。

心の強さは人それぞれだと思う。
あまり強くない人は、人に話して不満をガス抜きしたりつらいできごとからしばらく顔を背けて休んだりするべきだと思うし、その中で人に頼ることもたくさんあっていいと思う。
だからといって、まわりへの気遣いを忘れて、立とうともしない態度はだめだと感じた。
私もつらい時に同じように振る舞ってしまうかもしれないので、そのシーンは見ていてとてもきつかった。

元気な今意識しても役に立たないかもしれないけど・・・常に視野は広く持って、まわりの人への思いやりはなくさずにいようと思った。



■仕事について思ったこと
"仕事での成果の出し方” というテーマで見て、勉強になったことについて整理しておく。

この映画での「人種差別をなくすこと」と「奴隷制度の撤廃を法律に盛り込むこと」は、仕事全般においては最終的な「目的」と目的達成への道のりの中にある「達成事項」のといえると思う。

リンカーンは「奴隷制度の撤廃を法律に盛り込むこと」という達成事項の設定がとても明確で迷いがなく、その達成にコミットしきっていた。

翻って、自分の仕事ぶりは「達成事項」へのコミットが弱いと感じる。
今の仕事は、幸せなことにわりと自由に仕事させてもらっているので、「達成事項」もある程度自分で決められる。
目的は理解していて、いろんな「達成事項」の可能性がある中でこれだというものを決めているはずなのに、他の可能性に対する迷いが消えなかったり、達成に対する貪欲さが足りなかったりする。

原因を考えて見るに、要は責任を引き受けきる勇気が足りないんだなと思った。
勇気がないから、 自分の設定した「達成事項」を信じきれないし、その達成に向けて全力で動けていないんだと思う。

勇気を持つということを具体的にどういうアクションにつなげればいいか考えた結果、下記を実行していくことにした。
・「達成事項」達成の定義を決める
・達成までの中間ポイントとそれぞれの期限を決める
・本当にその「達成事項」でいいのか、繰り返し考える


ということで、やたら仕事のことを考えてしまう映画ですがおすすめです。


2014年9月5日金曜日

アナと雪の女王

「アナと雪の女王」を観た。
これだけのヒット作なので、観とかなきゃ!というだけの動機で。
ネタバレとか全く気にせず感想を書きます。


歌がどれも質が高くて、お話のテンポもよく、とても楽しめた。
エルサの歌「Let it go」は結構序盤の歌なんですね。
確かに素晴らしいけど、そこまで流行るなんて・・・という印象。現代の日本では「ありのままに生きたい!」というニーズが高いからかなのかしらん。
私は "Do you wanna build a snowman?" の幼いアナの歌の方が好きだなー(幼女好きなだけ?)。

ただ、メインテーマである”愛”については、ちょっともやっとしたところもあった。
作り手が伝えたかったのは、女性が男性からの愛に頼ったりすがったりするのがいけてないということと、愛というのは自分よりも相手のことを大事にすることだということだと思う。
ひっかかったのは後者で、内容は本当にその通りだと思いつつも、”愛”をぱきっと定義しすぎていることが気になった。

作品中で登場人物が愛について話す中で、雪だるまのオラフが "Love is putting someone else before yourself" と言い切る。
後にアナが危険に陥って "an act of true love" だけが彼女の命を救うことができるという設定になり、実際に救ったのは上記の愛の定義を文字通り体現する "act" だった。
ので、物語としてはすごくすっきりしていていいと思う。

でも愛ってそんな単純に言い切れるものではないんじゃないかと思ってもやもやした。
キャッチコピーとかならともかく、映画という表現だったら「愛とはこういうことですマル」みたいな表現にしなくても。
他の登場人物にも違う言い方をさせたり、それこそ"act"でだけ見せて言葉の定義は明確にしないっていうやり方もできたと思うのです。
観た子どもが、愛の一面だけ知って全部分かった気になっちゃうんじゃないかな、と変な心配をしてしまった。
自分にとってすごく大きいものなので、ちょっとした違和感でも過剰に反応してしまっているかもしれない。

というもやもやは抱いたものの、いい映画だと思いました。


しかし、力をコントロールできるようになってアナとも仲直りしたエルサを、わざわざタイトルで "雪の女王” なんて呼んでくれるなと思う・・・。
ぜんぜん仲良し姉妹感がなくてかわいそうだと思いました。

2014年3月1日土曜日

Bill Cunningham New York

「ビル・カニンガム&ニューヨーク」を観た。
NY Times の On The Street は見たことがなかったし、もちろんビルのことは知らなかったけど、なんとなく気になっていた映画。

私はファッションに対する関心が強いわけではない。
でもこの映画に惹かれたのは、彼が何かに夢中になってる大人げない人だからだと思う。
心からうれしそうに人々のファッションを観察して写真に収める姿が、本当に魅力的だった。
観終わった時、彼のその夢中になっている姿がやっぱり素敵だなと思ったし、ファッションというものに対して考えさせられた。



映画の中でビルは、ファッションとは個性を表現するものだと語っていた。みんな個性があるのに、勇気がなくてつまんない格好をしている。だからその中でも個性を堂々と表している人を撮るんだそう。

私の考えは少し違う。ファッションは基本的にコミュニケーションの手段で、以下のようなことを見分けるのに役立つと思っている。


  • 自分と話ができそうかどうか
良くも悪くも、どういうひとなのかぱっと見で判断してしまう。
私だったらあまりにファッションコンシャスなひとには話しかけるのをためらってしまうし、シンプルでさりげなく上質な服のひととは話してみたいなと思う。
  • どういう態度でその場に臨んでいるのか
アクセサリーを着けているか、ジャケットなのかカーディガンなのか、どんなネイルをしているか、などで、そのひとの本気度みたいなものが伝わる。
そういうフィルタリング機能があることを意識して選んでいれば、エキセントリックな服ばかりじゃなくていいと思う。普通の服でも、好みによって細部にバリエーションがあれば楽しい。みんながみんな、ファッションで個性を強く表現すべきだとは思わない。
自分の存在を主張したり認めてもらうためにするのが自己表現だとしたら、どう見えるか、よりも何をどうやってやるか、で示せばよいと思うから。


ビルのような考えは、ニューヨークという土地柄ならではかもしれないと思った。
いろんな国籍、野心、アイデンティティを持ったひとたちが集まり、見知らぬひと同士が活発に交流する街だから、ぱっと見で分かるくらい強く個性を主張する文化なのかも。

そうだとしたらその文化はすごく刺激的。一度味わってみたいと思いました。

2014年2月9日日曜日

シンドラーのリスト

今さらながらシンドラーのリストを観た。
なるほど名作と言われるわけですね。長くて重いけれど、観てよかった。

シンドラーという人に、そして大げさに言うと人間がどこまで尊くなれるのかということに、かなりびっくりした。


話としては、ナチス党員のシンドラーという事業家さんが、アウシュビッツで虐殺されそうになっているユダヤ人たちを「自分の工場の労働力だ」と言い張って、1,000人以上を故郷に連れて帰って助けるというもの。
最初はそれこそ安い労働力としか見ていなかったのに、一人一人が尊い命だと気付いていく。最後には、「人を殺すものを作りたくない」とか言って、工場で作る武器もわざと規格外のものしか生産しなくなったくらい。
その行動は、極端なひとだなあと思いこそすれすごいとは思わなかったけれど・・・。

びっくりしたのは、戦争が終わって彼が工場から去るシーン。
1,000人以上の人を救い養ってきた彼は、皆から感謝の言葉と贈り物を受け取ると、「もっと多くの人を救えたのにしなかった」と泣き崩れる。
これだけ感謝されておいて、抑えきれないほど自分への責めを持っているなんて。
予想外だったし、切なくなった。

このひとは分かってやっていただろうに、とも思った。
自分の力には限界があるとは知りつつ、一部だけでも救いたいという割り切りのもとで動いていたはず。
でもその割り切りは、相当がんばって無理やり整理したものだったんだと思った。救いたい、なんとかしたいというどうしようもなく強い気持ちを、力ずくで押し込めていたんじゃないだろうか。
そんな尊い気持ちが強くわきあがってくるなんて、すごいひとって本当にすごい。


シンドラーさんとは対照的に描かれているのが、ドイツ軍の偉い人Armonさん。
冷徹で、非道で、ユダヤ人たちを殺すのを楽しんでいる。
でも全く救いようがない分かりやすい悪人ではなくて、このひともある意味戦争の犠牲者かも、と思わせるような描き方だった。切ない。

戦争という状況だから、自分に見合わない権力が与えられてしまう。
それが勘違いだと薄々気付きながらも、その力に溺れてしまう。
それはそれでかわいそうではあるけども、はた迷惑だなあと思ってしまった。



しかしシンドラーさんの使う英語はかっこよかったな。
究極にシンプルな言葉に突き詰められていて、怒る時もリズミカルだった。
ここにQuoteがいっぱいあります。


2013年11月4日月曜日

The Great Gatsby

「華麗なるギャツビー」を観た。
衣装とか映像が話題になっていたのでそれももちろん楽しみだったけれど、要はキャリー・マリガンが観たくて選んだと思う。


映画全体の感想としては、とにかく“Gatsbyかわいそう”。
でも、一番GatsbyをかわいそうにしたDaisyをわるく思う気には全くなれなかった。あのかわいさは罪だと思う。

Gatsbyの最期を見て、どんなに自由に贅沢に生きれても、本当に愛したひとがいるんなら愛し返してもらわないとだめだなあと改めて思った。
だからと言って、愛がすべてとも思わないけれど。
愛とかどうでもよくて、純粋なわくわく感なり、達成感なり、スリルなりを求めるひとも結構いると思う。そういうひとは自足していてかっこいい。
究極に求めるものはひとそれぞれだな、というのは会社で一人ひとりの性格とか強みとかを考える中で知った次第です。


Daisyはかわいすぎ。
あの愛らしさ、無邪気な笑顔、色気、なんかもううまく言えないけれど、異様な魅力だと思う。キャリー・マリガンすばらしい。

役柄としても、女性なんて選び放題の2人からしぬほど愛されていた。
でもDaisyの考え方とか純粋さとかは映画の中であまり表現されていなかったし、GatsbyのこともTomのことも愛しているわけではなかった。
一方、よくいっしょにいたクールなゴルファーの女性は、Daisy以上に美しいのにあまり愛されていないみたいだった。
・・・結局内面というより、charmingでpleasantで相手の愛を受け止めているっぽく振る舞ってればいいのかしらん。。。と、少しもやもやしてしまった。

ただ、彼女は彼女で苦しかったんじゃないかと思う。
2人からあんなに愛されて、目の前で感情をむき出しにされて、普通だったら平気でいられない。
そのあたりの葛藤も映画では思い切りカットされていたので分からなかったけれど。
彼女目線でのこの物語も観てみたい。


Daisyのかわいさと、実際にしてしまったことを見て、自分の普段の行動についても考えてみた。
普段ひとに対して感じ良くいようと気を付けていて、それはそれでいいと思う。
でもうわべだけじゃなく、関わる人のことをもう一歩深く真剣に考えて本当の思いやりを持とうと思いました。

2012年11月18日日曜日

Dead Poets Society

ロビン・ウィリアムズが好きだとtweetしたら、Wさんが「"Good morning Vietnam" " Dead Poets Society" " Fisher King"なんかもいいよ」と教えてくださった。
他にもおすすめ邦画などについて伺い、観たい映画や本が増えてしまった。ありがたい。
げに先達はあらまほしきものなり。

では、と早速iTunesでレンタルして観ることに。
検索してクリックするだけですぐに観れちゃうなんて、ほんと便利な時代です。
TSUTAYAから、まして劇場から足が遠のくし、ひとりで観ちゃうことが増えるから、必ずしも良い傾向じゃないかもだけど。
たまに劇場に行ってその良さを実感しても、普段はひとりで観る気軽さに勝てません。

選んだのは Dead Poets Society
なかなかインパクトのあるタイトル、しかもWASPな男子学生寮が舞台という私好みな感じがしたので。
有名な詩人ならたいてい死んでるんだからわざわざ"Dead"とつけなくてもいいと思うのだけど。強い言葉を使いたかったのかしらん。
普段は使わない、タブー的な言葉を使うことで、仲間意識が増すのかもしれない。



いい映画だった。
「自分で考える」ことは、やるべきだけどできていないと常日頃から思っていることです。身につまされた。

思い返して浮かんでくるのは、“自由”に目覚めた後の、生徒の輝く表情。
視界がさっと開けた感じで、あんないい笑顔を見れただけでこの映画を観てよかった。

ただ、こんなふうに“目覚める”ことがほんとうに幸せなことだったか、少しもやもやもした。つまり、目覚めないまま、ただ親の言う事を聞いて医者とか弁護士になった方が 楽だったのでは?と思う。

もちろん長い目で見れば目覚めた方が幸せだ。
自分のやりたいこと、束縛されていることに自覚的になり、人生を選択していく自由さはほんとうにすばらしいと思う。
ただ、まだ親のいいなりになるしかない(と思っている) 学生の頃に教えるのは酷だと思った。
目覚めたからって、自分を取り巻く環境や体制を変えることはできない。
おそらく先生の学生時代がそうだったように、それを洒落のめすこともできない。
目覚めて、だからといって何も行動を変えられないというのは不幸で残酷だと思う。
変えられない環境でのやりすごし方もいっしょに 教えてあげればよかったのに。

こんな風に考えるのは、宮部みゆきさんの「孤宿の人」で同じテーマが書かれていたのを読んだからだ。
読んでいなければ「あの父親がわるい。先生もニールもかわいそう!」とだけ考えたと思う。
私は良くも悪くも 宮部みゆきさんの影響を強く受けていると実感する。
ただ、ここにきてやっとその自覚を持ったのは遅かった。
もっといろんなものに触れて、自分がどんな影響を受けているかを自覚する場を持った方がいいかもしれない。