2013年11月4日月曜日

The Great Gatsby

「華麗なるギャツビー」を観た。
衣装とか映像が話題になっていたのでそれももちろん楽しみだったけれど、要はキャリー・マリガンが観たくて選んだと思う。


映画全体の感想としては、とにかく“Gatsbyかわいそう”。
でも、一番GatsbyをかわいそうにしたDaisyをわるく思う気には全くなれなかった。あのかわいさは罪だと思う。

Gatsbyの最期を見て、どんなに自由に贅沢に生きれても、本当に愛したひとがいるんなら愛し返してもらわないとだめだなあと改めて思った。
だからと言って、愛がすべてとも思わないけれど。
愛とかどうでもよくて、純粋なわくわく感なり、達成感なり、スリルなりを求めるひとも結構いると思う。そういうひとは自足していてかっこいい。
究極に求めるものはひとそれぞれだな、というのは会社で一人ひとりの性格とか強みとかを考える中で知った次第です。


Daisyはかわいすぎ。
あの愛らしさ、無邪気な笑顔、色気、なんかもううまく言えないけれど、異様な魅力だと思う。キャリー・マリガンすばらしい。

役柄としても、女性なんて選び放題の2人からしぬほど愛されていた。
でもDaisyの考え方とか純粋さとかは映画の中であまり表現されていなかったし、GatsbyのこともTomのことも愛しているわけではなかった。
一方、よくいっしょにいたクールなゴルファーの女性は、Daisy以上に美しいのにあまり愛されていないみたいだった。
・・・結局内面というより、charmingでpleasantで相手の愛を受け止めているっぽく振る舞ってればいいのかしらん。。。と、少しもやもやしてしまった。

ただ、彼女は彼女で苦しかったんじゃないかと思う。
2人からあんなに愛されて、目の前で感情をむき出しにされて、普通だったら平気でいられない。
そのあたりの葛藤も映画では思い切りカットされていたので分からなかったけれど。
彼女目線でのこの物語も観てみたい。


Daisyのかわいさと、実際にしてしまったことを見て、自分の普段の行動についても考えてみた。
普段ひとに対して感じ良くいようと気を付けていて、それはそれでいいと思う。
でもうわべだけじゃなく、関わる人のことをもう一歩深く真剣に考えて本当の思いやりを持とうと思いました。

2013年9月24日火曜日

UXをシンプルに保つために

自分たちがユーザーグロースを担当しているサービスのUX全体について、プロダクトオーナーである社長から指摘を受けた。
曰く、なにか問題があったときに説明を追加して解決しようとするのではなく、見ただけでどうすればいいのか自然に誘導されるようなシンプルなUXに寄せていくべきだ、とのこと。
その指摘に対しては完全に同意だし、説明するという安易な解決策に逃げているのは確かにいけてないなと思った。

問題は、なぜ指摘を受けるまでそれに気付かなかったか、どうやったら自力で方向転換できたかということだ。
問題だった点を少し細かく考えてみた。


■UXについての執着のなさ
Keep It Simple & Stupid みたいな、説明しなくても分かるようなUXがいい、という知識はあった。
さらに、ユーザにはどんなに説明しようとしても伝わらないという経験則もあった。
でもそれはあくまで知識でしかなく、徹底して追いかけるものだとは考えていなかった。
そこにこだわるフェーズなのか?という疑問はいまだにあるけれど、そんなこといったらいつまで経ってもUXを良くできない。
精神論ぽいけど、UXに対する執着が足りなかったということだと思う。


■課題解決のための考え方
UXの理想についての執着が足りなかったのに加えて、課題解決のための考え方にも問題があったと思う。
サービスに対するユーザの理解が足りないために問題が起きているとき、解決するには説明するしかないと考えていた。それが前提だった。
それは、「トリッキーな仕組みを提供しているのだから、説明的になるのはしょうがない」という甘えだったと思う。
どんな仕組みだろうとユーザには関係ない。
言い訳してないで、ユーザが考えないで済むかつ迷わない導線をなんとかひねり出さなければ。

説明せずにわかる導線を考えるには、もう一歩踏み込んだり、立ち止まって遠くから見て、もっといい方法がないか検討することが大事だと思う。
当たり前の解決策で満足してはだめだ。
これでいこうという段階にきたとき、もう一呼吸おいて、ベストを考えようと思う。



2013年9月22日日曜日

タイプ7

仕事でもやもやしていたときのこと。
エニアグラムでタイプ7の上司の考え方にはっとした。



サービスの成功について、今までは深く考えてこれなかった側面で新たな指標を作ることになり、でもうまく考えられなくて悩んでいた。
私はタイプ的にすぐ冷めた目で考えてしまうけれど、特にひとを動かす時にはそのくらいの高揚が大事なんだなあと感じた次第。


そこに通りかかった上司が、最近読んだ本からヒントを得て、「この本のこの考え方をうちでもやってみたらいいんじゃない?」という提案をしてくださった。
それだけなら「そうかも」で終わっていたけれど、そこから
「この考え方でこうやったら、きっとこんな発見があってあんな施策を引き出せて、最高に楽しそうだよ!」
とどんどん気持ちが高まって(気持ちを高めて)いった。
そういう気分のコントロールって自分ではできたことがなかったので、びっくりした。

まずは、その上司とか他のタイプ7のひとがどうやってその高揚を出しているのか、もうちょっとよく観察してみようと思う。

自分の限界を超える意識

ラジオで、フィギュアスケートの羽入結弦さんとヴァイオリニストの葉加瀬太郎さんとの対談を聞いた。
羽生さんが、あんなにお若いのにきちんと考えていて、しかも他人に伝わるような言葉に落とせていることに感動した。
あと、「一定のレベルを超えたプロ同士の共感」っていうのがかっこよすぎる。
私もなんらかのプロになって、分野の違うプロ相手に深い共感を抱きたい!と思った。
ジェネラリストもいいんだけど・・・。


■プロ同士の共感
どういうところで共感してたかというと、極度に集中した状態というものが存在するということ。
その感覚がどうやら似ているらしくて、お互い「分かるわー。」みたいになってた。jealous.

曰く、あまりに集中すると、自分を客観視できちゃうそう。
演技をしている自分をスケートリンクの外から見ている感じになったり、演奏中なのにコンサートホールの全体が見えていたり。
数年に一度そういうことが起きるらしい。それが本番じゃなくて、練習で発揮されちゃったり。
でもそういう感覚が持てるのって素晴らしい。
本当に集中できることに出会って、実際にのめりこめてるっていう証だと思う。いいな。


■限界を超える
葉加瀬さんの
「本番は練習の何%くらい出せてるの?」
という問いに対して、羽生さんは
「100%です。練習で常に120%出しています。なぜなら、練習は常に自分の100%を超える場だから。」
と答えていた。かっこいい。

日々の仕事もそういうことだな、と思う。
私は甘くて、自分の限界を超えることに、なにか経験したことのない場を踏むとか、大きな失敗から学ぶとか、特別なことを求めてしまう。
でもそうではない。
毎日毎日、ちゃんと自分の限界に挑もうと思った。
「いつもよりもう一歩踏み込んで考える」とか、「定期的な計算業務を3分短縮する仕組みを作る」とか、なにかしらテーマを設定してやってみる。

明日は、Deniseに気を遣わせる回数を減らすという限界に挑もう。。

An Education

台風で外に出られないし、いっしょにいる友だちは読書してるので、時間がたっぷりできた。
ということで、下書きにためておいたブログを一気に書き上げてアップしてみることに。
まずは、結構前に観た映画 “An Education” で考えたことを整理してみる。


邦題は「17歳の肖像」だけど、An Education の方がずっといい。
何歳かなんて関係なくて、女性にとっての教育とはなにかを考えさせてくれる映画だと思った。
学校教育のような、キャリアにつながるものもあるし、付き合った男性に受ける影響(taming? )という意味での教育もあった。
*映画の邦題とか、URLの付け方とか、もうちょっとかっこよくなるといいのに。。。

主演は大好きなキャリーマリガン。安定の透明感とキュートさでした。
たった2コ上だなんて衝撃的すぎる。


総じて、きつい映画だなあと思った。
女性には幸せの形がいくつかあって、どれを選ぶかは自分次第。
でも、どれが一番自分にとって満足できる幸せなのか、周りになんて言われるか、などなど、選んでみないと分かんないことも多いと思う。
幸せの形の種類は誰に何を委ねるかのバランスだと理解している。だから、委ねた相手に裏切られたりすることもありえるし。
女性は選択肢がいっぱいあって、難しい気がする。


■私にとっての“いい人生”って?
誰に何を委ねるか。
委ねて得られるものはなにか。
・・・など考えてみる。
そりゃあ「できるだけ自分で責任を持って決断をして、将来を切り開いていくのが楽しい!」って言えたら一番かっこいいと思う。でも私は必ずしもそうではないと思った。
私の幸せは、身近で大事なひとが幸せで、私のことを認めてくれたり好きでいてくれること。
いろいろ自分で引き受けて決断すると、長期的に周りの“好き”とか承認を得られる。
短期的には、周りに決めてもらったことをしっかりこなすと、褒められたりして承認されてることを感じやすい。
「自分で責任を引き受けて決断する」を意識しつつも、短期的な満足が得られるようにうまいことバランスを取っていくのがいいのかなと思う。


■dirtyでずる賢いひとたち
教育と関係ないけど、David側のひとたちへの憧れって常にある。
あの割り切った感じとか、ものごとの裏側を捉まえてて利用しちゃう感じ。

私の周りには照れくさいくらい真っ直ぐないいひとしかいないので縁がない世界ではあるけれど、映画とかでみるとやっぱりかっこいいと思っちゃうなああ。
そっちの世界をちら見せすることで実際に覗かなくても満足させてくれるから、映画って本当にいいものですね、だな。

2013年8月3日土曜日

7月の振り返り

6/24に弊社サービスの大規模なアップデートがあって、7月は(開発関連でいろいろあったりして)みんなばたばたしていた。
8月に入ったタイミングで、事業部長から「時間を取って7月を振り返っておこう」というお達しがあった。いい機会なので、振り返ってまとめておくことにする。


■チームとして
サービスのユーザーグロースを担うチームとして、やるべきことは大きく3つあったと思う。

1. バグの検知とその対応
これはいけてなかったところ。
ユーザからのフィードバックと、自分で触ってみての気付きから、重要なものをできる限り拾ってくることが必要だったが、足りなかった。
気を付けて目を通していたものの、“これは重要”と感知する力と、具体的な対応を取る力が欠けすぎていた。
チームみんなが目を通しているものの、社長に拾われるまではスルーされてしまった件がいくつもあり、その中には致命的なものもあった。
結局はサービスの今後を引き受ける覚悟が足りなかったということだと思う。

2. 半期の目標への道筋決めと、走り出し
あらかじめ作っておいた仕組みに助けられて、形にはなったと思う。

半期を通しての目標に対して、ボトルネックになっているところを把握し、対策を立てるという流れは実施できた。
それは、施策検討会議を週1は行うこと、シミュレーションシートを作成して毎週アップデートすること、チームの動きを隔週で社長に報告すること、という3つのリズムがあったおかげだった。
課題発見→解決の流れがタスクとして組み込まれていることは良かったので、まだ意識の足りないところも仕組みを作り、定期的に考えたいと思う。

今チームの注意が足りないのはサービス利用の継続率。
実感として分かりやすく、対策を考えやすい指標を作って、これも週次で見ていこう。

ともあれ、その仕組みはあくまでリズムとして、常日頃から全体図を考える姿勢はきちんと持ちたい。

3. 旧リーダー抜きの体制を回す
これはサービスに対するものではないけれど、チームの体制について。
これまで引っ張ってくださっていたリーダーが別チームに異動するので、早く新リーダーのもとで回せるようにすることも重要な“やるべきこと”だった。

結果として回ってきてはいるけれど、もっと早くできたはず。
遅くなってしまったポイントとしては、個別の施策に深く入ってもらいすぎたことと、自分から仕事を奪いにいけずに分け与えられるのを待っていたことだと思う。

特に自分以外の担当分について、いっしょに細かい文言まで考えていただいたりして、相談に乗ってもらいすぎた。「チームのタスク」として捉え、もっと気持ちを込めていれば旧リーダーも安心して手放せたと思う。

自分から仕事を奪いに行く姿勢が足りなかったというのはそのままで、外部との打ち合わせの時にもっと主導権を持とうとしたり、視点を高く持てれば、新体制の成立を早められたと思う。

★8月からの改善方法
3つの役割についての反省からいって、腹をくくること、仕組みを作ることが重要そう。
腹のくくり度合いについては週次の振り返りに組み込むことにして、仕組み化については目標達成に対する取り組みそれぞれを単発で終わらせないよう意識することにする。
精神論に寄りすぎかな・・・。


■個人として
具体的に気を付けるべき「夏の生活目標」を作れたのがよかった。
半分くらいしか達成できていないものの、具体的に“これをやれば良くなる”というのがあると分かりやすくて、改善しやすいと実感。続けてみよう。


■旧リーダーとの振り返り
旧リーダーは、ご自身が完全にチームを抜けるまで責任を持ってチームメンバーを見ていて、私とも週次の振り返りの時間を設定してくださっている。
ご自身も新しいチームに入って大変なことばかりなのに、そんな配慮ができることに頭が下がります。旧リーダーの大きさを改めて実感してしまった。ありがたい。

あと、自分一人での振り返りは甘くなりがちだと分かった。
2人で振り返りの時間を持つことで、自分ではしない問いかけを受けることができ、改善につながっていると思う。

早いところ旧リーダーが安心して抜けられるように、怠けず考えようと思いました。


2013年7月21日日曜日

二都物語

二都物語を観に行ってきた。
久しぶりの舞台鑑賞はやっぱりわくわくする!帝国劇場のたたずまいも相変わらず素敵でした。

話の内容も、舞台となる時代さえも知らずに鑑賞したけれど、レ・ミゼラブルとほぼほぼ同じだったので話の筋は飲み込みやすかった。
というより、レ・ミゼラブルと雰囲気も話の構成要素もそっくり。
最初は違いを見つける方が難しかった。


■レ・ミゼラブルとの違い
違いを考えてみたら、同じフランス革命がテーマでも、原作者の立場が全く違うことに気付いた(当たり前。。)。
私の浅い認識では、レ・ミゼラブルの方はフランス人が、二都物語はイギリス人が見たフランス革命で、イギリスから見ると、全てを称賛できるような感じではなかったんだなと思った。
第2幕のはじまりに出てくる革命をテーマにした大道芸は、怪しげな音楽に乗せて下品に見せていて、かなり意地悪な表現だと思う。
逆に、処刑される側の貴族へは、レ・ミゼラブルよりも同情心があって温かみはあった。
フランス革命はヨーロッパ中で称賛されたものかと勘違いしていたので意外だったけど、よく考えれば距離がある分見解が違うのも当たり前だと気付いた。

とはいえ、“物語として盛り上がる要素”の認識は英仏で同じだったみたいでおもしろい。
見返りを求めない愛、深くてやりきれない恨み、酒場のノリ、こどもの犠牲、ピュアで育ちのよい女性、などなど。
よく分からないけど、キリスト教的な世界観は共通していたのかも、と思った。


■役者さんの実力
お芝居の種類としてもレ・ミゼラブルと同じで、群像劇だった。
最後の方なんて特に展開が早くて、あのひとのために泣いた30秒後にはこのひとのために泣いて、といそがしい。
そんなに詰め込んでも感情移入できるのは、やっぱり役者さんが素晴らしいからだと思った。

どの方も素晴らしかったけれど、特に感激したのはマダム・ドファルジュ役の濱田めぐみさんと、テヴレモンド伯爵役の岡幸二郎さんだった。
濱田めぐみさんは、彼女にしかうまくできない役がいっぱいあるなあと思わせるような、圧倒的な実力だと思う。
彼女が歌うといつもぞくぞくします。同じ時代に生きていることに感謝したい。
そして岡さんは“別世界の住民”感がすごかった。
別の星で育てられてある日地球にぽんと置かれたような、民衆とは絶対に相容れない感じ。
しゃべらなくても、雰囲気でもう和解の望みがないことがはっきり分かる、やりきった演技だと思った。
レ・ミゼラブルでは革命側のカリスマ、アンジョルラスがあんなに素敵だったのに・・・!

とにかく、ほとんどどのキャストの方もしっかりキャラクターが深いところからできあがっていて、すんなり感情移入することができて素晴らしかった。


■私の好きな人格
今回の主役、シドニーの役がとても好きで、自分が尊敬するひとのタイプを再確認してしまった。
シドニーが見返りを求めずに愛を捧げ通すところがクライマックスなのだけれど、シドニーがピュアで汚いことをあまり知らないからこそ愛を信じられるキャラクターだったら、私はあんまり感動できなかったと思う。

彼は酒に溺れて最低の仕事をしてきたり、ずるくて汚いこともたくさんやってきたりして、世の中を裏側までしっかり知っているひとだった。
その上でルーシーのピュアさを本気で信じ、愛せるというところが尊いし美しいと思う。
そういう奥行きのあるひとに私は本当に憧れてしまって、そんなひとの愛や腹の据わり方に感動する。
私自身は世間知らずで、とてもそんな風になれそうにないけれど、せめて何も分かってないなりに一生懸命生きようと思いました。・・・って漠然としすぎて何も言えてない感じですが。



次はモンテ・クリスト伯を観に行く予定です。