今日もたいへん親切にしてもらったので、役に立てるようがんばろうと思います。
“親切にすること”と“愛を与えること”と“いい顔をすること”は違うなあとしみじみ思った。
親切を受けた分、他のひとに返そうと思ったけれどうまくできず、いい顔しただけになっちゃったのかなあと思ったからだ。
逆に“愛”だと、無条件でふしぎなくらいそのひとのことを思っちゃう、自分の持っているものも分け与えちゃう、という感覚を持っている。
うちの会社にいると、違う部署のひとから愛を受けることもあるので。ええ。
なにが違ったんだろうと思い、“親切”を辞書でひいてみると、「思いやりをもって人のためになにかすること」という内容だった。
ちなみに、“「切」は刃物をじかに当てるように「身近である」「行き届く」という意味がある。つまり身近に寄り添い、行き届くようにすること”だそう。へえ。
具体的になにがうまくいかなかったかというと、仕事に対するもやもやについて話してもらったとき、それを解消することができなかったのである。
私自身がもやもやしているんだから、 解消することはちょっと難しかったのだけれど、いっしょに悩んでしまうよりは他にもっとやりようがあったはず。ということで何ができたか振り返ってみた。
やりよう1:自分のもやもやは置いといて、ひたすら相手のもやもや解消に努める
→自分の迷いを隠しても伝わってしまう。真摯でもない。これはだめ。
やりよう2:上長と話す機会をセッティングする
→自分のもやもやが邪魔になって解決できないと分かったなら、早い段階で他のひとの助けを求め、非生産的な時間を短くすることもできた。これはやるべきだった。
やりよう3:飲みに行く
→いっそ飲みに出て、話が尽きるまで/思い切った決断ができるまで酔えばいいじゃない。
これもやるべきだった。
どうして上記ができなかったかというところで最初の親切の話に戻る。
できなかったのは、“寄り添う”ということができておらず、相手との距離があったからだと考えた。
私は話を聞きながら、どうしたら部の体制や動きが改善され、問題が解決するかを考えた。
しかし 、考えるべきはその人が部の状態をどう捉えていて、どうしたらすっきりするかということであり、実際に何が問題なのかということではなかった。それは後でひとりで考えればよいことで。
自分の課題感を横にどけておいて、あくまでそのひとの気持ちになることが足りなかった。
今度からは“寄り添い”を意識しようと思う。
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