2012年11月27日火曜日

じわじわ後悔

週末、じっくり考える時間があるのにだらだらして考えることをさぼるの良くない。
じわじわ後悔して、いやな思いがずっと残る。
さぼると自分に一番帰ってくる。
そんな週末が続いているので、今日から心を入れ替えるのです。

2012年11月25日日曜日

日の浦姫物語

bunkamura で日の浦姫物語を観てきた。
井上ひさし作、蜷川幸雄演出、大竹しのぶ・藤原竜也出演という豪華な組み合わせ。
期待に胸踊らせながら初めてコクーンシアターに入った。

話の内容は、主人公が近親相姦という罪を犯してしまい、懺悔しながら生きるというもの。
まず兄と妹で、 さらに母と子で、と罪が重なり、結構な重さ。
さらに語り部も同じ罪を犯しているというご丁寧な構造だった。
正直受け止めきれていないが、こういうときこそ“作文ドリル”で感想を文章にしなければ。


■演者さんについて
演技しているところをちゃんと観るのは初めてな演者さんばかりで新鮮だった。

最初に、説教聖役の木場勝己さんがかっこよくてうっとりした。
ああいう表情を持った、声のいい役者さんが好きすぎてこまる。

人生の酸いも甘いも知っていて、いろんなものを飲み込み受け入れてきたからこその穏やかなやさしい表情。
おちゃらける時の人懐っこい表情と態度。
よく響いて人を動かす力が宿る、深くていい声。
本当に憧れます。


反対に、その妹役はどうにも好きになれなかった。
観客に嫌わせたいキャラクターではないので、自分の好みの問題だと思う。
言葉を発しないうちから、そのお辞儀のしかた、目線の投げ方が卑屈っぽくていやだった。
自分のいやなところをそのひとの中に見たのかもしれない。
堂々とした態度は大切だ。



一番楽しみにしていた藤原竜也さんの演技は、あまり良さが分からなかった・・・。

舞台での演技が関係者に絶賛されて有名になったという話を以前から聞いていたが、ドラマや映画で観た彼の演技はどこか大袈裟で、そんなに絶賛する理由が分からなかった。
これはきっと舞台用の演技のままテレビに出ているから良さが分からないのであって、舞台で観れば感動するんだろう!と思っていた。
それで今回、やっと舞台の演技が観られると楽しみにしていたのです。

実際観てみると、テレビで観たときと感想はあまり変わらず、大袈裟だ・・・と思った。
そんなに全ての台詞を力を入れて発音しなくてもいいと思うのだけど。
もう何度か観て、その良さを感じ取れるようになりたい。


反対に、大竹しのぶさんの演技は素人目にもすごさが分かった。
姫15歳の時の演技はさすがに無理があったけど、大人になってからの姫の演技は凛として美しく、色香に迷ってひとり悩むところはチャーミング。 
舞台女優さんなんだなあと思った。また観たいです。



■お話について
近親相姦というタブーについて、「日の浦姫物語」では両者が心から懺悔した結果許される。しかし、語り部の犯した同じタブーについては最後まで許されることがない。
語り部は懺悔が足りなかったのか、それとも許されるのはあくまでお話の中だけですよ、ということなのか。

私は前者だと思った。
日の浦姫たちに対する許しはうそじゃないと思う。
語り部に対しても愛があって、だからこそ本気で懺悔しないと許してあげられないんだと思う。

ただ、懺悔すればそれでいいのか?とは思った。
懺悔した結果、世の中に埋め合わせとなるような行動をしないと意味がないのではないかと思う。反省も後悔も懺悔も、全部単に心の持ちようだと思うので。



■井上ひさしさん
一度幕が閉じてもう一度上がると、井上ひさしさんの肖像画が舞台の中央に大きく掲げられていた。
そこでやっと、これは井上ひさしさんの生誕77周年フェスティバルだったことを思い出した。 その存在感にはっとしたし、もう亡くなってしまったんだなあとしみじみ思った。

今回の舞台で一番驚きとまどったのは笑いと悲劇性のバランスで、井上ひさしさんの作家性を強く感じた。こんなバランスでブラックな笑いを提供できる日本人作家はとても珍しいと思う。
日の浦が叔父さんに罪の子ができたことを告白するところで初めてそういう笑いが出てきた。役者さんが大真面目にばかばかしく重いことを言っていて、可笑しいんだけどいいのこれ、という気持ちになった。
笑えるけど居心地がわるい 。
いわゆる欧米のブラックユーモアとも違うと思うけれど、哀しいかな比較できるほど欧米のそれに詳しくありません。。
とにかく、特殊なバランスを持ったひとだったように思った。


すごく残念だけど、このお芝居で彼が伝えたかったことを私はあまり理解できなかったように感じている。
私の倫理観は井上ひさしさんの感覚とはかなりずれてしまっている。
それは小説を読んでいても感じる。
彼の考えにはきちんとした美意識や倫理がある。私はそれに憧れるけれど、しっかり共感できることは少ない。
“古きよき日本の考え方”として遠くに感じられ、こんな風に考えられたらいいなと憧れるだけだ。


もっと数を読めばもう少し近くに感じられるかもしれない。
実家に何冊もあったはずだから、今度帰省したときに読んでみよう。

2012年11月23日金曜日

love

"LOVE"と"LIKE"はどう違うのか。
LOVEは異質なものを求め、
LIKEは同質なものを求める

「天声人語」のCMより。


じゃあ私、LOVEあんまり知らないです。
これから知ればいいか。 

2012年11月18日日曜日

Dead Poets Society

ロビン・ウィリアムズが好きだとtweetしたら、Wさんが「"Good morning Vietnam" " Dead Poets Society" " Fisher King"なんかもいいよ」と教えてくださった。
他にもおすすめ邦画などについて伺い、観たい映画や本が増えてしまった。ありがたい。
げに先達はあらまほしきものなり。

では、と早速iTunesでレンタルして観ることに。
検索してクリックするだけですぐに観れちゃうなんて、ほんと便利な時代です。
TSUTAYAから、まして劇場から足が遠のくし、ひとりで観ちゃうことが増えるから、必ずしも良い傾向じゃないかもだけど。
たまに劇場に行ってその良さを実感しても、普段はひとりで観る気軽さに勝てません。

選んだのは Dead Poets Society
なかなかインパクトのあるタイトル、しかもWASPな男子学生寮が舞台という私好みな感じがしたので。
有名な詩人ならたいてい死んでるんだからわざわざ"Dead"とつけなくてもいいと思うのだけど。強い言葉を使いたかったのかしらん。
普段は使わない、タブー的な言葉を使うことで、仲間意識が増すのかもしれない。



いい映画だった。
「自分で考える」ことは、やるべきだけどできていないと常日頃から思っていることです。身につまされた。

思い返して浮かんでくるのは、“自由”に目覚めた後の、生徒の輝く表情。
視界がさっと開けた感じで、あんないい笑顔を見れただけでこの映画を観てよかった。

ただ、こんなふうに“目覚める”ことがほんとうに幸せなことだったか、少しもやもやもした。つまり、目覚めないまま、ただ親の言う事を聞いて医者とか弁護士になった方が 楽だったのでは?と思う。

もちろん長い目で見れば目覚めた方が幸せだ。
自分のやりたいこと、束縛されていることに自覚的になり、人生を選択していく自由さはほんとうにすばらしいと思う。
ただ、まだ親のいいなりになるしかない(と思っている) 学生の頃に教えるのは酷だと思った。
目覚めたからって、自分を取り巻く環境や体制を変えることはできない。
おそらく先生の学生時代がそうだったように、それを洒落のめすこともできない。
目覚めて、だからといって何も行動を変えられないというのは不幸で残酷だと思う。
変えられない環境でのやりすごし方もいっしょに 教えてあげればよかったのに。

こんな風に考えるのは、宮部みゆきさんの「孤宿の人」で同じテーマが書かれていたのを読んだからだ。
読んでいなければ「あの父親がわるい。先生もニールもかわいそう!」とだけ考えたと思う。
私は良くも悪くも 宮部みゆきさんの影響を強く受けていると実感する。
ただ、ここにきてやっとその自覚を持ったのは遅かった。
もっといろんなものに触れて、自分がどんな影響を受けているかを自覚する場を持った方がいいかもしれない。


2012年11月16日金曜日

自信

Tech Crunch Tokyo に出展してきた。
弊社サービスのユーザさんとたくさん交流できて、参加したチームメンバーとの意識も合ってきて、行ってよかった。


特に印象に残ったのは2つ。
スタートアップバトルで優勝したwhillのプレゼンと、昔うちの会社でインターンしてたひとの表情。どちらも自信に満ちて輝いていた。

恐れとか余計なプライドとか捨てて努力し抜いてきた人は、やっぱり輝きが違ってくるんだと改めて思った。
いい開き直りがあるから揺るがない。自分のスタイル、やりたいことがはっきりしていて、他人に変に影響されない。かっこいいと思う。

かっこいい例ではないけど・・・
プレゼンの質疑応答で英語の質問を受けた時に簡単な英語だけど聞き取れず、通訳が流れるヘッドフォンを慌ててはめるまでうまく回答できなかったという場面があった。
普通だったら恥ずかしいし、動揺したり焦ったりしてしまうと思う。
でもプレゼンターの彼は全く動じず、ヘッドフォンをした後に自信を持って答えていた。
それでいいんだ、そのくらい臆さずに胸をはればいいんだ、と少し感動した。

自分なんて、やたら陽気なアメリカ人に“悲しそうだけど大丈夫?”って言われたくらいです。自分のやることに誇りと熱意を持たなきゃだめだと感じた。



アーリーアダプターな人たちばかりなので、サービスに対してみんなとても好意的だった。
市場全体を見たらそれを当たり前と思っちゃいけなくて、アンチの意見もちゃんと意識しなきゃいけない・・・でも「さすがうちのサービス!いけてる!」と思ったのは内緒。

2012年11月12日月曜日

違和感

仕事で反省するのは、たいてい小さな違和感を放っておいた時だ。


「違和感」と呼べるくらい大きくなっているときはあまり問題にならない。
その手前の、ほんの小さなざらつきが大事だ。
そこに気付かないと後から問題になって、ひどく悔やむことになる。

例えば、依頼して測ってもらったKPIの確かさを受け入れるときの一瞬のためらい、Yammerだけで伝えた連絡事項が本当に伝わったかどうかほんの少し不安になる気持ち、 同僚が見せた少しだけ納得いっていない顔、などなど。
ちょっと念を入れて確認すればいいだけの話が多いが、ちょっとなまけると「だいたいOK」で見過ごしてしまう。


うちの会社のCEOはこんなもったいないことを許さない。
ちょっと気になったらまず議論にしてみる。裏付けとなるデータを取ってみる。そして納得したらさっさと方向転換する。
その時々で最善の判断をしているから、一時正解から逸れても最小限の動きで戻ってくる。
そういう姿勢をいつでも見て目指せるというのは、幸せな環境だと思う。
真似、しないと。


全てのものごとに神経を研ぎ澄ませ続けることはできないが、適切な方向にアンテナを張り、なにかひっかかったらすぐに行動するということを癖付けしておく。
仕事の成果につながるし、CEOみたいにすがすがしく過ごせそう。

感受性

同僚の発言に、はっとしたりずきりとさせられることが多い。発言というか、主にtweetだけど。
鋭い感受性と、それをごまかさずに表現できる自信がまぶしく、自分の濁った感受性について後ろめたく思ってしまう。


ずきりとさせられるのは、彼が感じる嫌悪感についてのtweetであることが多い。
怒りや 不快感を持ったとき、その原因を人の姿勢や考え方の中に認めて、それをはっきり表現する。

それは自分が大事にする価値とずっと向き合ってきていて、揺らがない芯がしっかりあるということだ。きれいなまま固まった価値観があるから、他人に変な影響を受けないばかりか、価値観に反するものに嫌悪も感じる。
価値観というより“美意識”か。



その姿勢に倣って、私がこれから意識することを決めた。
・自分の感覚と向き合い、言語化する(このブログで実践できる)。
・人の言動や姿勢をしっかり見つめて、取り入れたいところ、反面教師にしたいところを認識する。

2012年11月9日金曜日

Appleの支配

珍しくAppleStoreのサポート態度のわるさにむっとしながらAppleStoreを出て、気分を変えようとiPhoneで爆音で音楽をかけた瞬間。
泣くも笑うもAppleに支配されてる感じがして、企業のパワフルさを実感してしまった。

謙虚と卑屈

必死と悲壮が違うように、真剣と深刻が違うように、謙虚と卑屈は違うんだと最近やっと気付いてきた。
うちの会社のひとは謙虚だなあ。

2012年11月6日火曜日

歪みの原因

ネガくて言いにくいことも辞さずに書く練習!

週末、うちの会社が提供するサービスのユーザさんに協力してもらい、ユーザビリティテストをした。
全く関係ない会社のテストに休日の時間をつぶして付きあってくださるなんて、 本当にありがたいと思う。感謝申し上げます。


6人のユーザさんにお会いしてもちろん印象は様々だったが、愛想が良くて協力的なユーザさんほど印象が良い、というわけではなかった。
どんなに協力的でもその笑顔の裏に歪みみたいな ものを感じられると、居心地が悪くてしかたなかった。


そのいやな感じは、相手が自分の中にいやなものを見ているからじゃないかと思う。
サービスに関して私は全く恥じることをしていないのに、勝手に「共犯の証拠」を引き出そうとしているように感じられた。
その人自身、自覚的になにかしらの後ろ暗いことをしていて、仲間を嗅ぎ分けようとしている感じ。


反面教師にして、オープンなこころで人に接しようと思いました。



2012年11月4日日曜日

真本音

酔っ払ってもひとに気を遣えるということは、根っからきれいなひとなんだろうなと思う。

久しぶりに同じ部署で年が近い同僚と飲みに行った。
同僚は正体がなくなるまで酔っ払ってしまった。でも話は同じ部署の先輩の素敵なところがどんなところかという内容で、おまけに私にもそんなところを真似してほしいと言ってくれた。
心からひとの成長を願えるなんて、本当にきれいでまぶしい。


そんな姿勢を真似するためには、少なくとも自分がやるべきことを全力でやって自信を持っていないとだめだと思った。
誰に恥じることなく全力で仕事をして、周囲の仕事ぶりに対して敬意を払う。
自分のねっこはそこまできれいじゃないかもしれないけれど、努力して近付きたいと思う。

いい同僚がいて幸せです。

2012年11月1日木曜日

予想外にうれしかったこと

主体的に動いてみたら、「がんがんやってしまえ!」とコメントをいただき、やたらうれしかった。


じんわりうれしかったのは“陰ながら応援されてる”感を受けたからだと思う。
形式はプライベートメッセージだったから、自分だけがそのメッセージを読める状態だった。
その人の立ち位置とか事業部にとってのその行動の価値とかあんまり関係なく、「個人的に応援してるよ」メッセージだと受け取りました。だからうれしかった。

自分にとって一番うれしくなることのひとつは、尊敬している人に認めてもらうことだと気付いた、というお話。


それってやっぱり自分、自分、でかっこわるいな・・・。
好きな人・組織にとっての幸せを一番に考えられるひとになろう。

心地良い惨敗

1年半くらいの間いっしょに働いてくださった方が昨日で辞められた。
この期間ずっと、社員みんなに力をくれた。
本当にありがとうございました。まずはお体を休めてください。


最後の挨拶で、
「みなさん熱意があって、やられたなという感じでした。心地良い惨敗です。」
とおっしゃった。
なんだ惨敗って。誰にもなんにも負けてないじゃないか。と思った。
確かに体調には勝てなかったかもしれないけれど、全力で仕事に情熱を傾けていた姿はみんな知っている。
30代の社員ばっかりの中、50代はお一人だけだった。
それでもものすごく腰が低く、かといって年長者として後輩に指導するという仕事もしっかり果たしていた。
誰に恥じることのない仕事ぶりで、まわりはその経験値やお人柄からたくさんのことを学んだ。
惨敗なんてしていないです。


ただ思い返してみて、市場には負けを感じられたのかもしれないと思った。
思い出したのは、一度だけ営業同行させていただいた時のことだ。営業というか、総研の方とビジネス展開についてブレストさせてもらうというたてつけだったけど。

その帰り道、
「大企業の社員はまだまだ名刺を自分の資産だと思っていて、共有に抵抗を感じている。考え方が古い人が多いことは知っていたが、思った以上に古い考え方が凝り固まっている」
ということをおっしゃっていたのが印象に残っている。
壁を切り崩す突破口を探して、ずっと体当たりし続けていらっしゃるんだなと思った。
壁はすごく厚かったけど、きっとそれができるとご自身も周囲も信じていたと思う。でも体調の問題もあり、ベンチャーのスピードの速さもあった。
私には、切り崩しのタイミングが今のスピード感の中では間に合わず、引き返すことになったように見えた。
想像するだに無念だったろうけれど、晴れ晴れとご挨拶されたその去り際も見事だったと思う。


QAチームの方なんて、感謝のあまり涙していた。
社長も泣いていた。
そういう場面を見ると、私はこの会社が本当に好きだなあと思う。
芯のところはすごくまっすぐで、感受性が強い。
ここにいられるのは幸せだ。



このスピード感で私も結果を出すことを期待されている。
というか、スピードを保ち、加速させていくことが私が会社にいる意義だと思う。