2012年12月31日月曜日

2012年の振り返り(考えることについて)

だいぶ間があいてしまったけど、今年最後にブログを書いてみる。


2012年を振り返ってみると、じっくり考えることをさぼってしまったなあと思う。
今年に入って急に考えなくなったということではないので、考えることの大事さに改めて気付けた1年だったとも言える。

なぜ気付けたかというと、そりゃあ今の事業部に異動したからだ。
まず部署異動によって上司が変わり、その影響を強く受けるようになった。
また、業務内容の自由度が高くなり、考え抜くことを迫られたと感じる。

■新しい上司の影響
新しい上司は愛にあふれる人で、この半期だけでいろんなアドバイスをもらった。
(前の上司にもかわいがってもらったけど。彼の周囲への愛情は異常なほどだと思う。)

業務上そこまで気にかける必要がないのに、部下が今後どんなキャリアを積みたいと考えているのか、どうしたら部下の強みを活かせるのか真剣に考え、働きかけてくださった。

彼と話すようになるまで、私には憧れはあっても目標はなかった。
あんなふうになりたいという像がなんとなくあっても、現状との差を明確にしたり、差を埋めるために必要なことを考え出したりする努力がなかった。
でも話をしてもらう中で、当たり前だけど本気で変わりたいのなら結果につながる行動が必要だと分かった。

今何が足りないのか、どのような行動を起こす必要があるのか、その行動は結果につながっているのかなど、誰に言われなくても自分のためにしっかり考え続けることが大切だ。
それが足りないままになってしまったと反省している。


■業務内容の変化
業務において一番変わったのは、目標を柔軟にセットし直す必要があるということだ。
先月セットした目標が、(主に社長の気付き、状況の変化、新しく取り始めたKPIなどによって)今月からはフォーカスするべきものではなくなったりする。
達成すべき数字を追うことは最低限必要だが、今追うべき数字は本当にそれでいいのかも考え続けなければいけない。
それがなかなか了見できなかった。

“今一番サービスのためになること”を土台から考え続けることの必要性を学んだ。


自分の将来のこと、業務のこと、どちらもじっくり考えたいと思っているのに、後回しにしたり避けたりすることが多かった。
なにかに向き合って考えることはエネルギーがいるからだと思う。podcastを聞いたり、“作業”を優先させたりしていた。

ただブログを書くようになって、考えをまとめることが少し習慣化して良かったと思う。
誰に読んでもらうでなくても、日々の小さなひっかかりや学びを文章にすることは考えを深めて整理するのにとても役立った。
2013年も継続しよう。



1年を振り返ると、浮かんでくるのはやっぱり同じ事業部メンバーの顔だった。
いいメンバーに囲まれて仕事できたことに感謝したい。
(周りと比較して、自分のいけてなさにうんざりすることも多かった。。)

来年はもっと貢献できるように、後悔のないように、真剣によく考えるようにする。

2012年12月21日金曜日

狂気とかっこよさ

今日もかっこいい方と会わせてもらった。

今回のかっこよさは頭の切れとほんの少しの狂気。
頭が切れすぎて、普通の人が越えない一線の少し向こう側に入っちゃってる感じがした。表面的にはたまに笑い方がヒステリカルになるだけなんだけど。

いつにもまして聞き役に徹してしまったが、そんな私にも目を見てしっかり話してくださるところが素敵。
あれくらい突き抜けてくると周囲がみんな同じに見えて、逆に分け隔てなく接するのかも・・・とすら思った。

知り合いの幅を拡げるって大事。
臆することなく、とにかく人に会おうと思う。


2012年12月19日水曜日

経験がひとを作る

2か月前にうちの会社にjoinされた方と飲みにいった。
自分の考えをあっけらかんと共有してくださる素敵な方だった。

今日学んだのは、ひとの考え方や人格を作るのはやっぱり経験、それも負荷の高い経験なんだということ。
負荷によってぎりぎりの状態になって必死に考えたことが、その後の考え方のベースになり、魅力的な人柄を作るのかなと思う。


その方はIT業界で働いていた時、深夜のバッチ監視業務で完全に生活が崩れ、しかもやっている内容はバイトでもできるようなただの監視(障害対応はやりかたが分からないのでできず、上司に報告するだけ)だったそう。
そこで、自分にとっての幸せがなにかを心から考えたとおっしゃっていた。

転職先の選び方とか、人生において目指すこととか、その方の諸々の考えは腹の底から出てくるように揺るぎない感じがした。きっとそういう強烈な経験がベースにあるおかげだと思う。


でも深い考えをするのに極限状態の経験をする必要なんてなくて、要は日々どれだけ真剣に自分と向き合って考えられているかの問題だと思う。
逃げずに考えることの大事さを改めて実感した。

そして今度の休みは台北に行くことに決めた。

2012年12月16日日曜日

学び方

走ってたら、道路工事のおじちゃんに「がんばれー笑」と言われた。
世の中にはかわいいひとが多い。


そういえば、前よりも周りのひとのかわいさをappreciateすることが増えた。
(appreciate はいつもうまく訳せない・・・。「認識する」だけだとプラスの意味が足りず、「感謝する」だといきすぎる。)
これは多分、人への愛にあふれている上司のおかげだ。
以前は自分が周りにどう思われているかということで頭がいっぱいだったが、純粋に周りがどうしているか、どうすれば周りに貢献できるのかを少しずつ考えるようになった気がする。
少し意識が他人寄りになったことで、今まで流していたかわいらしさが染みこんできたんだと思う。


その上司とは前から関わりがあったし、他にも愛にあふれる社員さんはたくさんいる。
でも、その愛を語るということにはあまり触れていなかったのだと思う。
今回学べたのは、その人が周りへの気持ちや考えを言葉にして頻繁に話してくださったからだ。
私がなにかを学ぶのは、誰かのリアルな言葉、特に語りからだと気付いた。

業務での“学習”もそうだ。
定量的なユーザの状態よりも、ひとりのユーザの声に動かされやすい。
それは必ずしもわるいことではなくて、数字とのバランスに気を付ければ、うまく成果につなげられる気がする。


年末年始の休み、講演とか勉強会とか、人の語りに触れる機会をなにかひとつは持とうと思う。

2012年12月13日木曜日

基本姿勢の違い

Growth Hacking University Japan というUser Growth についての短期講座に通っている。
1回スキップしてしまったけど今日で4回目。
運営している Alien eye さんはいけてるひとばかりで、かなり楽しい。


今日学んだいけてるポイントはナチュラルな積極性だった。

毎回、あるサービスを取り上げてGrowthHackの施策を考えるというグループワークがある。
今日のテーマはコンテンツマーケティングで、取り上げたサービスは Sound Cloud だった。
(今夏はまったTurntable.fmを思い出してしまった。。。また遊びたい。)

なんとか良さそうなアイディアをみんなでひねり出し、発表は盛り上がった。
その発表を聞いたスタッフのひとりが「いいね!売り込んでみようか?」と冗談混じりにおっしゃると、代表のJamesが真顔で「そうしようよ。誰かに紹介してもらおう」と受けた。


こういう姿勢が根本にあると、いろんな機会を掴めると思った。
たまたまそのアイディアを本気でいいと思ったわけではなく、基本的に"Why not?"という発想がしみついているんだと思う。
一事が万事これなんだから、 こういう姿勢を持っていないひととの差ははかりきれないほどになると思った。

いいと思ったことに対しては、ちょっとくらい人様に手間をかけさせようと、大変だろうと、一歩踏み込んで掴みとるということをちょっとずつ意識しようと思う。

2012年12月11日火曜日

信頼

どれだけ責任を負っている自覚があるかということは、些細な行動にも表れてしまう。
周囲からの信頼は、そんな行動で一気に決まると実感した。
そして一度崩れた信頼は、普段いくらそのひとが素晴らしくても、なかなか戻らないと思う・・・。

ひとへの態度は、絶対怠けずにいつも真摯でいなければと思った。

真摯さとスピード感

サービスを作って広めるにあたり、真摯さとスピード感は相反するものだろうか?

想定するスパンと「成功」の定義によるが、決してそんなことはないと考えている。
だけど実際サービス運営に携わってみると、その2軸が対立しているように思える。


■真摯さ
ここでいう真摯さとは、あくまでユーザ視点を貫くことだ。
サービス提供者側がどんなにユーザさんにやってもらいたいことがあっても、ユーザがそれを少しでも不快に思うのならやらない。
大変で面倒なことな業務でも、ユーザにとって大事なことであれば最後までやる。
サービス提供者の都合で考えてはいけない。


■スピード感
ではスピード感とはなにか。
ここではサービスを認知させるスピード、利用者拡大のスピードだ。
◯ mebaみたいにテレビCMを多用したり、◯laxoみたいに招待をとばしまくると、よりスピーディーにサービスの名が売れ、新規ユーザが増える。
このときの招待は、ユーザにとってうれしくないことが多い。


■2軸の関係
とにかく「拡散!」「拡散!」と言ってユーザに招待やSNS上でのポストを促すことは、たいてい真摯ではない。
また、拡散は二の次で、とにかく真摯に着実にファンを増やしていくと成長のスピードは落ちる。
このように、両者は相反するものであり、うまくその間のバランスを取ることが大事だと思っていた。
スピード重視でサービスを広めるには、多少ユーザが不便に思うことがあっても突き進むが、その成長を悪評によって妨げられるほどに不便さが大きくならない程度を守る。

単純なユーザ数はもちろん、アクティブユーザの数についても同じだ。
拡散のスピードが十分速ければ、利用定着率が低くても最終的なアクティブユーザ数は増える。結果、多少強引でも拡散させた方がいい。


■2軸の関係?
でも本当にそうだろうか。
どちらも両立する方法はないのだろうか。
・・・と、完全に“真摯”寄りなのにうちのサービスよりもユーザの多いサービスの話を聞いて考えた。

そこで、スピード感を損なわずに真摯さにサービス提供できることだってあり、それは下記の2つではないかと思い至った。

------------------------------------------------
★1 拡散する気はなかったが拡散の行為に100% 不快感がなく、招待などされた方も使えてハッピーになる

★2 全く拡散を強制されないが、純粋に誰かに教えてあげたくなる
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「100%」「強制されない」という内容には幅があると思う。

自分から「招待する」「紹介する」というアクションをしにいかなくてはならない場合はもちろんこれに適する。
さりげなく導線の中に入っていて、「まあいいか」と思わせるのはどうだろうか。
ユーザを“操作”したり”懐柔”したりしていてひっかからないでもないけど、全然問題ないと思う。

要は拡散のエンジンが動いていて、拡散する方もされる方が完全にハッピーであればいいのだ。
うっかり拡散しても不快にならないサービス内容にするか、誘導されなくてもつい招待したくなっちゃうサービスにするかは考えていくべきことだけれど。


自分の中で整理は完了したので、あとは施策を形にしていくのみだ。

2012年12月9日日曜日

かっこいいひと

とてもかっこいい 女性にお会いした。
あるスマートフォンアプリの企画・制作・マーケティング・サポートを全て一人でやってきている方で、今は某企業に出資を受けてより本格的にそのアプリに注力していく(こんな記述するとIT業界のひとにはばればれ・・・)らしい。
元上司がその方と前職でいっしょに働いていたそうで、彼が同席してくださったおかげでわりとカジュアルに話してくださった。

かっこいいなと思った要素は大きく二つあった。
まずはすごく有能で、その有能さを客観的に認識しているところだ。
自分の能力を冷静に受け止め、驕ることも謙遜しすぎることもなく、淡々としていた。
それは、自身に対して健全な自信があるということだと思う。
 私の周りにはこんな方が多い。というより、私が憧れるのはこんなひとなんだと改めて思った。

もうひとつは、サービスに対して真摯で信念があることだ。
サービスについて、“哲学”といってはおおげさだけど、そんな信念があった。それが本当に真摯で、ユーザにちゃんと向き合っている感じなのが素敵だった。
さばさばと冷静な態度だったので、余計にその真摯さが際立っていた。


彼女に近付くためにできることを考えてみると、何かを自分で責任をもって管理・運営しきって、自信を持つことかなと思う。
サービス運営・・・プログラミング・・・と思うとすぐ二の足を踏むけど。
ただ、「自信」 は自分にとって間違いなく重要であると最近ますます感じる。
「なにかをやり遂げること」に向きあってみる。


2012年12月4日火曜日

再配置

うちの会社の組織構成は結構よく変わる。
身内ながら、よくそんなに変えるべきポイントに気付けるなと思う。
普通、組織って居心地とか慣れとか、日々の根本に関わるところなので、あまり積極的に変えようと思わないんだろうけど。

中途で入った先輩は、「うちに入ると、大抵のひとはやったことのない/困難な部署に配置されるという試練にぶちあたる」と言う。
私が見た中では、大変な試練でもいい成長の機会だと捉えて、本当に成長する人ばかりだ。

私の今の状況も、成長の機会に相違ない。
チャンスをみすみす捨てて再配置の機会も与えられなくなる前に、今のポジションで成長しなければならない。

2012年12月2日日曜日

アリス・イン・ワンダーランド

事前に何の情報も入れず、ただただ石川禅さんが出るという理由で観に行った、ミュージカル「アリス・イン・ワンダーランド」。
これが、とても楽しい舞台だった。


■禅さん
お目当ての禅さんは、いつも通り他の出演者や舞台、オケへの愛があふれていて、観ていて本当に幸せになりました。ああ、同じ時代に生きられてよかった。

どんな役でもハマリ役にしちゃうけど、今回もぴったりだった。
人がよくて薄っぺらくて役に立たないんだけど、甘い言葉と歌声がどうしようもなく魅力的。
にこにこと本当にうれしそうに、 舞台を楽しみきってる感じがかわいすぎです。
ナイトの見た目もビッグボーイみたいでかわいかったけど、ジャックの穏やかな感じもよかった。かわいい。

ナイトの登場で、観客が舞台についていけるようになった感じもした。
ナイトまではめまぐるしくいろんなことが起こりすぎて、観客も戸惑い気味だったと思う。笑いを狙った場面でも、まだちょっとびっくりしすぎてちゃんと笑いが起きていなかった。
でもナイトが馬で登場してラガーボーイたちとひそひそ話を始めると、可笑しすぎて大きな笑いが起こって、そこから観客がぐっと舞台にはまっていった感じがした。贔屓目にすぎるかしらん。。。

あの笑顔と仕草を見れるのなら何度でも劇場に足を運んでしまいます。


■ 濱田めぐみさんの帽子屋
この舞台で一番素晴らしいと思ったのは濱田さんの堂々たる演技だった。
ボニー&クライドの軽くてかわいい演技の印象が強く残っていたので、まさか濱田さんだとは思わなかった。
迷いのない振り切れた演技と歌声が、歌唱力も演技力もあるキャスト陣の中でも特に際立っていて、貫禄を感じた。きれっきれとはああいう感じを言うんだと思った。
すっかりファンになってしまいました。

そしてボニー&クライドでクライド役を熱演した万里生、まさかウサギだったなんて・・・・!芋虫だとばかり思っていたよ。



■お話
昔観てがっかりしたミュージカルと同じ雰囲気を最初に感じて大丈夫かなと思ったけれど、次から次へと全く違う場面へと転換していき、それぞれの演者さんの魅力ががんがん伝わり、本当に楽しい舞台だった。
ミュージカル初出演という方が何人もいたみたいだけど、そんな風には見えなかった。
どの演者さんも突拍子もないキャラ設定に負けず、パワフルで魅力的な役に仕上がっていた。すごく貴重な舞台だと思う。


メッセージは明確で、今の自分の状況にも刺さった。
結局現状や自分自身を変えるのは自分しかない。
私の中にもいろんな愛すべきキャラクターがいると信じて(禅さんほどのかわいさはどう考えても存在しないが・・・!)、自力でいろいろ変えていきたい。

2012年12月1日土曜日

いやな鈍感さ

人の努力や気持ちに鈍感なところを直したい。


1か月間、インターン生が別の部署で課題に取り組んでいて、今日はその発表だった。
その部署はとてもノリが良くてサポーティブだし、彼自身が一生懸命やっていた。
ただ、発表は正直それほど尖っていたり実現可能なようにも感じなかった。
がんばったんだな、という感想を持った。

しかし、その部署の部長さんのコメントを聞いて、ちょっと想像した以上に大変な課題だったし、方向転換を強いられたりして難しかったのだということが分かった。
結局、いけてなかったのはもちろん彼の発表ではなく、自分の鈍感さだった。
人の努力や気持ちに鈍感なのはだめだ。





以前も自分の鈍感さを恥じたことがある。

うちのサービスの機能改善でお世話になっている人に、そのサービスの機能で迷惑をかけてしまったことがあった。
でも彼はその機能や私たちを全く責めず、引き続き協力してくれた。
私は「申し訳ないな。でもいいひとだ。」くらいにしか思わなかった。
でもそのひとが去った後、チームメンバーはものすごく感激していて、その差にちょっとショックを受けた。

その違いは、そのひとの苦労や気持ちを心から汲み取ろうとする姿勢の違いだと思う。
もっと周りをappreciateする姿勢が必要だ。



一方、自分が傷つかないようにすることに対しては 非常に敏感だと思う。
誰かにわるく思われていないか、自分が評価されているかどうか、浅ましいくらい気にしてしまう。
そういう状態だと、萎縮してしまって自分のやりたいことに気付けもしないし、周りも気持よくない。


敏感さと鈍感さを使い分けることを学びたい。

2012年11月27日火曜日

じわじわ後悔

週末、じっくり考える時間があるのにだらだらして考えることをさぼるの良くない。
じわじわ後悔して、いやな思いがずっと残る。
さぼると自分に一番帰ってくる。
そんな週末が続いているので、今日から心を入れ替えるのです。

2012年11月25日日曜日

日の浦姫物語

bunkamura で日の浦姫物語を観てきた。
井上ひさし作、蜷川幸雄演出、大竹しのぶ・藤原竜也出演という豪華な組み合わせ。
期待に胸踊らせながら初めてコクーンシアターに入った。

話の内容は、主人公が近親相姦という罪を犯してしまい、懺悔しながら生きるというもの。
まず兄と妹で、 さらに母と子で、と罪が重なり、結構な重さ。
さらに語り部も同じ罪を犯しているというご丁寧な構造だった。
正直受け止めきれていないが、こういうときこそ“作文ドリル”で感想を文章にしなければ。


■演者さんについて
演技しているところをちゃんと観るのは初めてな演者さんばかりで新鮮だった。

最初に、説教聖役の木場勝己さんがかっこよくてうっとりした。
ああいう表情を持った、声のいい役者さんが好きすぎてこまる。

人生の酸いも甘いも知っていて、いろんなものを飲み込み受け入れてきたからこその穏やかなやさしい表情。
おちゃらける時の人懐っこい表情と態度。
よく響いて人を動かす力が宿る、深くていい声。
本当に憧れます。


反対に、その妹役はどうにも好きになれなかった。
観客に嫌わせたいキャラクターではないので、自分の好みの問題だと思う。
言葉を発しないうちから、そのお辞儀のしかた、目線の投げ方が卑屈っぽくていやだった。
自分のいやなところをそのひとの中に見たのかもしれない。
堂々とした態度は大切だ。



一番楽しみにしていた藤原竜也さんの演技は、あまり良さが分からなかった・・・。

舞台での演技が関係者に絶賛されて有名になったという話を以前から聞いていたが、ドラマや映画で観た彼の演技はどこか大袈裟で、そんなに絶賛する理由が分からなかった。
これはきっと舞台用の演技のままテレビに出ているから良さが分からないのであって、舞台で観れば感動するんだろう!と思っていた。
それで今回、やっと舞台の演技が観られると楽しみにしていたのです。

実際観てみると、テレビで観たときと感想はあまり変わらず、大袈裟だ・・・と思った。
そんなに全ての台詞を力を入れて発音しなくてもいいと思うのだけど。
もう何度か観て、その良さを感じ取れるようになりたい。


反対に、大竹しのぶさんの演技は素人目にもすごさが分かった。
姫15歳の時の演技はさすがに無理があったけど、大人になってからの姫の演技は凛として美しく、色香に迷ってひとり悩むところはチャーミング。 
舞台女優さんなんだなあと思った。また観たいです。



■お話について
近親相姦というタブーについて、「日の浦姫物語」では両者が心から懺悔した結果許される。しかし、語り部の犯した同じタブーについては最後まで許されることがない。
語り部は懺悔が足りなかったのか、それとも許されるのはあくまでお話の中だけですよ、ということなのか。

私は前者だと思った。
日の浦姫たちに対する許しはうそじゃないと思う。
語り部に対しても愛があって、だからこそ本気で懺悔しないと許してあげられないんだと思う。

ただ、懺悔すればそれでいいのか?とは思った。
懺悔した結果、世の中に埋め合わせとなるような行動をしないと意味がないのではないかと思う。反省も後悔も懺悔も、全部単に心の持ちようだと思うので。



■井上ひさしさん
一度幕が閉じてもう一度上がると、井上ひさしさんの肖像画が舞台の中央に大きく掲げられていた。
そこでやっと、これは井上ひさしさんの生誕77周年フェスティバルだったことを思い出した。 その存在感にはっとしたし、もう亡くなってしまったんだなあとしみじみ思った。

今回の舞台で一番驚きとまどったのは笑いと悲劇性のバランスで、井上ひさしさんの作家性を強く感じた。こんなバランスでブラックな笑いを提供できる日本人作家はとても珍しいと思う。
日の浦が叔父さんに罪の子ができたことを告白するところで初めてそういう笑いが出てきた。役者さんが大真面目にばかばかしく重いことを言っていて、可笑しいんだけどいいのこれ、という気持ちになった。
笑えるけど居心地がわるい 。
いわゆる欧米のブラックユーモアとも違うと思うけれど、哀しいかな比較できるほど欧米のそれに詳しくありません。。
とにかく、特殊なバランスを持ったひとだったように思った。


すごく残念だけど、このお芝居で彼が伝えたかったことを私はあまり理解できなかったように感じている。
私の倫理観は井上ひさしさんの感覚とはかなりずれてしまっている。
それは小説を読んでいても感じる。
彼の考えにはきちんとした美意識や倫理がある。私はそれに憧れるけれど、しっかり共感できることは少ない。
“古きよき日本の考え方”として遠くに感じられ、こんな風に考えられたらいいなと憧れるだけだ。


もっと数を読めばもう少し近くに感じられるかもしれない。
実家に何冊もあったはずだから、今度帰省したときに読んでみよう。

2012年11月23日金曜日

love

"LOVE"と"LIKE"はどう違うのか。
LOVEは異質なものを求め、
LIKEは同質なものを求める

「天声人語」のCMより。


じゃあ私、LOVEあんまり知らないです。
これから知ればいいか。 

2012年11月18日日曜日

Dead Poets Society

ロビン・ウィリアムズが好きだとtweetしたら、Wさんが「"Good morning Vietnam" " Dead Poets Society" " Fisher King"なんかもいいよ」と教えてくださった。
他にもおすすめ邦画などについて伺い、観たい映画や本が増えてしまった。ありがたい。
げに先達はあらまほしきものなり。

では、と早速iTunesでレンタルして観ることに。
検索してクリックするだけですぐに観れちゃうなんて、ほんと便利な時代です。
TSUTAYAから、まして劇場から足が遠のくし、ひとりで観ちゃうことが増えるから、必ずしも良い傾向じゃないかもだけど。
たまに劇場に行ってその良さを実感しても、普段はひとりで観る気軽さに勝てません。

選んだのは Dead Poets Society
なかなかインパクトのあるタイトル、しかもWASPな男子学生寮が舞台という私好みな感じがしたので。
有名な詩人ならたいてい死んでるんだからわざわざ"Dead"とつけなくてもいいと思うのだけど。強い言葉を使いたかったのかしらん。
普段は使わない、タブー的な言葉を使うことで、仲間意識が増すのかもしれない。



いい映画だった。
「自分で考える」ことは、やるべきだけどできていないと常日頃から思っていることです。身につまされた。

思い返して浮かんでくるのは、“自由”に目覚めた後の、生徒の輝く表情。
視界がさっと開けた感じで、あんないい笑顔を見れただけでこの映画を観てよかった。

ただ、こんなふうに“目覚める”ことがほんとうに幸せなことだったか、少しもやもやもした。つまり、目覚めないまま、ただ親の言う事を聞いて医者とか弁護士になった方が 楽だったのでは?と思う。

もちろん長い目で見れば目覚めた方が幸せだ。
自分のやりたいこと、束縛されていることに自覚的になり、人生を選択していく自由さはほんとうにすばらしいと思う。
ただ、まだ親のいいなりになるしかない(と思っている) 学生の頃に教えるのは酷だと思った。
目覚めたからって、自分を取り巻く環境や体制を変えることはできない。
おそらく先生の学生時代がそうだったように、それを洒落のめすこともできない。
目覚めて、だからといって何も行動を変えられないというのは不幸で残酷だと思う。
変えられない環境でのやりすごし方もいっしょに 教えてあげればよかったのに。

こんな風に考えるのは、宮部みゆきさんの「孤宿の人」で同じテーマが書かれていたのを読んだからだ。
読んでいなければ「あの父親がわるい。先生もニールもかわいそう!」とだけ考えたと思う。
私は良くも悪くも 宮部みゆきさんの影響を強く受けていると実感する。
ただ、ここにきてやっとその自覚を持ったのは遅かった。
もっといろんなものに触れて、自分がどんな影響を受けているかを自覚する場を持った方がいいかもしれない。


2012年11月16日金曜日

自信

Tech Crunch Tokyo に出展してきた。
弊社サービスのユーザさんとたくさん交流できて、参加したチームメンバーとの意識も合ってきて、行ってよかった。


特に印象に残ったのは2つ。
スタートアップバトルで優勝したwhillのプレゼンと、昔うちの会社でインターンしてたひとの表情。どちらも自信に満ちて輝いていた。

恐れとか余計なプライドとか捨てて努力し抜いてきた人は、やっぱり輝きが違ってくるんだと改めて思った。
いい開き直りがあるから揺るがない。自分のスタイル、やりたいことがはっきりしていて、他人に変に影響されない。かっこいいと思う。

かっこいい例ではないけど・・・
プレゼンの質疑応答で英語の質問を受けた時に簡単な英語だけど聞き取れず、通訳が流れるヘッドフォンを慌ててはめるまでうまく回答できなかったという場面があった。
普通だったら恥ずかしいし、動揺したり焦ったりしてしまうと思う。
でもプレゼンターの彼は全く動じず、ヘッドフォンをした後に自信を持って答えていた。
それでいいんだ、そのくらい臆さずに胸をはればいいんだ、と少し感動した。

自分なんて、やたら陽気なアメリカ人に“悲しそうだけど大丈夫?”って言われたくらいです。自分のやることに誇りと熱意を持たなきゃだめだと感じた。



アーリーアダプターな人たちばかりなので、サービスに対してみんなとても好意的だった。
市場全体を見たらそれを当たり前と思っちゃいけなくて、アンチの意見もちゃんと意識しなきゃいけない・・・でも「さすがうちのサービス!いけてる!」と思ったのは内緒。

2012年11月12日月曜日

違和感

仕事で反省するのは、たいてい小さな違和感を放っておいた時だ。


「違和感」と呼べるくらい大きくなっているときはあまり問題にならない。
その手前の、ほんの小さなざらつきが大事だ。
そこに気付かないと後から問題になって、ひどく悔やむことになる。

例えば、依頼して測ってもらったKPIの確かさを受け入れるときの一瞬のためらい、Yammerだけで伝えた連絡事項が本当に伝わったかどうかほんの少し不安になる気持ち、 同僚が見せた少しだけ納得いっていない顔、などなど。
ちょっと念を入れて確認すればいいだけの話が多いが、ちょっとなまけると「だいたいOK」で見過ごしてしまう。


うちの会社のCEOはこんなもったいないことを許さない。
ちょっと気になったらまず議論にしてみる。裏付けとなるデータを取ってみる。そして納得したらさっさと方向転換する。
その時々で最善の判断をしているから、一時正解から逸れても最小限の動きで戻ってくる。
そういう姿勢をいつでも見て目指せるというのは、幸せな環境だと思う。
真似、しないと。


全てのものごとに神経を研ぎ澄ませ続けることはできないが、適切な方向にアンテナを張り、なにかひっかかったらすぐに行動するということを癖付けしておく。
仕事の成果につながるし、CEOみたいにすがすがしく過ごせそう。

感受性

同僚の発言に、はっとしたりずきりとさせられることが多い。発言というか、主にtweetだけど。
鋭い感受性と、それをごまかさずに表現できる自信がまぶしく、自分の濁った感受性について後ろめたく思ってしまう。


ずきりとさせられるのは、彼が感じる嫌悪感についてのtweetであることが多い。
怒りや 不快感を持ったとき、その原因を人の姿勢や考え方の中に認めて、それをはっきり表現する。

それは自分が大事にする価値とずっと向き合ってきていて、揺らがない芯がしっかりあるということだ。きれいなまま固まった価値観があるから、他人に変な影響を受けないばかりか、価値観に反するものに嫌悪も感じる。
価値観というより“美意識”か。



その姿勢に倣って、私がこれから意識することを決めた。
・自分の感覚と向き合い、言語化する(このブログで実践できる)。
・人の言動や姿勢をしっかり見つめて、取り入れたいところ、反面教師にしたいところを認識する。

2012年11月9日金曜日

Appleの支配

珍しくAppleStoreのサポート態度のわるさにむっとしながらAppleStoreを出て、気分を変えようとiPhoneで爆音で音楽をかけた瞬間。
泣くも笑うもAppleに支配されてる感じがして、企業のパワフルさを実感してしまった。

謙虚と卑屈

必死と悲壮が違うように、真剣と深刻が違うように、謙虚と卑屈は違うんだと最近やっと気付いてきた。
うちの会社のひとは謙虚だなあ。

2012年11月6日火曜日

歪みの原因

ネガくて言いにくいことも辞さずに書く練習!

週末、うちの会社が提供するサービスのユーザさんに協力してもらい、ユーザビリティテストをした。
全く関係ない会社のテストに休日の時間をつぶして付きあってくださるなんて、 本当にありがたいと思う。感謝申し上げます。


6人のユーザさんにお会いしてもちろん印象は様々だったが、愛想が良くて協力的なユーザさんほど印象が良い、というわけではなかった。
どんなに協力的でもその笑顔の裏に歪みみたいな ものを感じられると、居心地が悪くてしかたなかった。


そのいやな感じは、相手が自分の中にいやなものを見ているからじゃないかと思う。
サービスに関して私は全く恥じることをしていないのに、勝手に「共犯の証拠」を引き出そうとしているように感じられた。
その人自身、自覚的になにかしらの後ろ暗いことをしていて、仲間を嗅ぎ分けようとしている感じ。


反面教師にして、オープンなこころで人に接しようと思いました。



2012年11月4日日曜日

真本音

酔っ払ってもひとに気を遣えるということは、根っからきれいなひとなんだろうなと思う。

久しぶりに同じ部署で年が近い同僚と飲みに行った。
同僚は正体がなくなるまで酔っ払ってしまった。でも話は同じ部署の先輩の素敵なところがどんなところかという内容で、おまけに私にもそんなところを真似してほしいと言ってくれた。
心からひとの成長を願えるなんて、本当にきれいでまぶしい。


そんな姿勢を真似するためには、少なくとも自分がやるべきことを全力でやって自信を持っていないとだめだと思った。
誰に恥じることなく全力で仕事をして、周囲の仕事ぶりに対して敬意を払う。
自分のねっこはそこまできれいじゃないかもしれないけれど、努力して近付きたいと思う。

いい同僚がいて幸せです。

2012年11月1日木曜日

予想外にうれしかったこと

主体的に動いてみたら、「がんがんやってしまえ!」とコメントをいただき、やたらうれしかった。


じんわりうれしかったのは“陰ながら応援されてる”感を受けたからだと思う。
形式はプライベートメッセージだったから、自分だけがそのメッセージを読める状態だった。
その人の立ち位置とか事業部にとってのその行動の価値とかあんまり関係なく、「個人的に応援してるよ」メッセージだと受け取りました。だからうれしかった。

自分にとって一番うれしくなることのひとつは、尊敬している人に認めてもらうことだと気付いた、というお話。


それってやっぱり自分、自分、でかっこわるいな・・・。
好きな人・組織にとっての幸せを一番に考えられるひとになろう。

心地良い惨敗

1年半くらいの間いっしょに働いてくださった方が昨日で辞められた。
この期間ずっと、社員みんなに力をくれた。
本当にありがとうございました。まずはお体を休めてください。


最後の挨拶で、
「みなさん熱意があって、やられたなという感じでした。心地良い惨敗です。」
とおっしゃった。
なんだ惨敗って。誰にもなんにも負けてないじゃないか。と思った。
確かに体調には勝てなかったかもしれないけれど、全力で仕事に情熱を傾けていた姿はみんな知っている。
30代の社員ばっかりの中、50代はお一人だけだった。
それでもものすごく腰が低く、かといって年長者として後輩に指導するという仕事もしっかり果たしていた。
誰に恥じることのない仕事ぶりで、まわりはその経験値やお人柄からたくさんのことを学んだ。
惨敗なんてしていないです。


ただ思い返してみて、市場には負けを感じられたのかもしれないと思った。
思い出したのは、一度だけ営業同行させていただいた時のことだ。営業というか、総研の方とビジネス展開についてブレストさせてもらうというたてつけだったけど。

その帰り道、
「大企業の社員はまだまだ名刺を自分の資産だと思っていて、共有に抵抗を感じている。考え方が古い人が多いことは知っていたが、思った以上に古い考え方が凝り固まっている」
ということをおっしゃっていたのが印象に残っている。
壁を切り崩す突破口を探して、ずっと体当たりし続けていらっしゃるんだなと思った。
壁はすごく厚かったけど、きっとそれができるとご自身も周囲も信じていたと思う。でも体調の問題もあり、ベンチャーのスピードの速さもあった。
私には、切り崩しのタイミングが今のスピード感の中では間に合わず、引き返すことになったように見えた。
想像するだに無念だったろうけれど、晴れ晴れとご挨拶されたその去り際も見事だったと思う。


QAチームの方なんて、感謝のあまり涙していた。
社長も泣いていた。
そういう場面を見ると、私はこの会社が本当に好きだなあと思う。
芯のところはすごくまっすぐで、感受性が強い。
ここにいられるのは幸せだ。



このスピード感で私も結果を出すことを期待されている。
というか、スピードを保ち、加速させていくことが私が会社にいる意義だと思う。

2012年10月30日火曜日

毎日なにか書いてみる

日々の反省といいことを綴る。続けてみる。


+Mせさんがおちゃめに注意しているところを目撃。ご機嫌だ。

察するに、大変だった仕事を引き継いでもらえてほっこりしていたところに、最近心を許しつつある事業部の近くを通りかかったから、ついつい言葉が出ちゃったのかもしれない。

ちょっと おちゃめ心を表に出すだけでみんながうれしくなるって、いいポジショニングだと思う。


+Edwardに、土日に考えた目標設定を聞いてもらう。


ーDeadユーザ掘り起こし企画の打ち合わせに、いまいち身が入らず。

なんとなく違う気がするも、その違和感を言語にできない。
根拠がないから当たり前ではあるが、それで終わらせてしまってはだめだ。向こうにだって根拠はないんだから。

私の主張は以下の通りだった:
完全に死んでしまったユーザを起こすよりも、使い出しに手を入れて死なせないようにする方が効果的である。
そもそも招待で入ってきたユーザはサービスに興味を持っていないため、再度ログインしてもらった上に継続して使わせようとするなんて、効率が良くない。


なぜこの主張が理解されなかったのか?
まずは「掘り起こし施策」の認識に差があったためだと思う。

 Deadユーザ関連の施策には下記の3種類がある。
1. 死なせないための使い出し支援
2. 死んだユーザの呼び戻し
3. 戻ってきたユーザに利用を継続させる仕組み

私が「掘り起こし施策」と思っていたのは2だけで、しかもリクエストメールくらいのものだという認識だった。
そこに注力するったって明らかに見返りは少ないのでは・・・と思った。
議論の途中で「掘り起こし施策」という言葉は小さくなったり広がったりして、なんとも掴めないまま話が進んでしまった。
やっぱり言葉の定義をはっきりさせることは必要だ。


次に、私と同じく施策に対して違和感を持っていた事業部長の議論が、実は私の違和感とは全く違う内容だったので、「自分の違和感は主張しなくていいや」と思い、主張しようという気がなくなってしまったためだ(理解されなくてあたりまえ。。。)。

だって事業部長の違和感の方が、大きなスケールでサービスを見ていて“立派な”違和感だと思ったから、この場で私の違和感を主張して時間をとらせてしまうのもな。と思ったのだ。議論の流れはむやみにかきまわしちゃいけない。

とはいえ、そこはなんとか急いで認識を揃えて、自分の違和感を議題にしてもらうことも自分の納得には必要だったように思う。


★今後に活かすためには
・前提を明確にした上で、自分の持つ違和感をはっきり言葉に落とす
・他の人の主張/話の流れを尊重しつつ、自分の違和感も議題にしてもらえるよう、前のめりで参加する

2012年8月12日日曜日

一命

とにかく海老蔵が美しすぎた。
観てよかった。

武士でも、家族や愛を守るべきと考える姿勢が讃えられている。
けど本当にそうなのか?と疑問に思い、素直に感動するだけじゃ済まなかった。

家族ができる前は、海老蔵だって同じように“武士の面目”にこだわっている部分があったんじゃないのか?
家族ができても、心を鬼にして大事にしたい気持ちを押し殺しているひとがいるんじゃないのか?
筋が通らないことなんて、もともとわかってたことなんじゃないのか?

気持ちはすごく分かるけど、ずるいと思った。
もっとやりようはあっただろうに。



という感想を持ったのは、宮部みゆきさんの「孤宿の人」の影響が強いと気付いた。
寺の面目を保ったまま、ねえやを救える道を探すべきだったという和尚さんのお話。

繰り返し読んでるからか、宮部みゆきさんの影響はいろんなところに深く残ってると思う。

2012年1月1日日曜日

“〇〇に恥じない”という美意識

“美意識”って言葉が適切かどうかはともかく。。


昨年末の納会を終えて思ったこと。
納会は社内結婚された先輩方の結婚式形式だった。
そこでの新郎のスピーチに出てきたのが“三三に恥じない夫婦になります”という言葉。
そこですごくぐっときて泣いた。

それは今の自分が三三に対して恥じるべき状態だと感じていたから。
特にその日の全社会議で他の部署の発表を聞いて、自分の部署が一番進歩していないと思った。
進めるべきは私だった。
他の部署と比較するまでもなく、自分がやっていることに情熱を持てていなくて、なかなか仕事が進まないし、目指しているゴールが小さすぎることに対して情けなく思っていた。

だから共感して、身につまされて泣いた。


“〇〇に恥じない”っていう考え方はださいからいやだと思っていたけど、実感してみたらそうでもないと思えた。
結構嫌いな言葉でも、経験によって受け入れられるようになるものだな、とちょっと驚いた。
世間に恥じないとか、下の世代に恥じないとかはかっこわるいと今も思います。
そんな顔の見えない何かに対して自分を評価するなんて、基準がよくわからないし闇雲な感じがする。
今回感じたのは会社のメンバーに対しての気持ちだから、“恥じない”ということを受け入れられたと思う。あの人がこんなに情熱的に行動して成果を出しているのに、と思うと、自分ももっとやるべきだと思えた。
そんな気持ちにさせてくれるメンバーがいることを誇りに思い、そんなメンバーが誇りに思ってくれるような自分になろうと思います。


私に与えられた“マーケティング”という役割は、その人は私に任せるしかない。
だから“村井がマーケティングやってくれていてよかった”と思ってもらいたい。