2013年11月4日月曜日

The Great Gatsby

華麗なるギャツビー」を観た。
衣装とか映像が話題になっていたのでそれももちろん楽しみだったけれど、要はキャリー・マリガンが観たくて選んだと思う。


映画全体の感想としては、とにかく“Gatsbyかわいそう
でも、一番GatsbyをかわいそうにしたDaisyをわるく思う気には全くなれなかった。あのかわいさは罪だと思う。

Gatsbyの最期を見て、どんなに自由に贅沢に生きれても、本当に愛したひとがいるんなら愛し返してもらわないとだめだなあと改めて思った。
だからと言って、愛がすべてとも思わないけれど。
愛とかどうでもよくて、純粋なわくわく感なり、達成感なり、スリルなりを求めるひとも結構いると思う。そういうひとは自足していてかっこいい。
究極に求めるものはひとそれぞれだな、というのは会社で一人ひとりの性格とか強みとかを考える中で知った次第です。


Daisyはかわいすぎ。
あの愛らしさ、無邪気な笑顔、色気、なんかもううまく言えないけれど、異様な魅力だと思う。キャリー・マリガンすばらしい。

役柄としても、女性なんて選び放題の2人からしぬほど愛されていた。
でもDaisyの考え方とか純粋さとかは映画の中であまり表現されていなかったし、GatsbyのこともTomのことも愛しているわけではなかった。
一方、よくいっしょにいたクールなゴルファーの女性は、Daisy以上に美しいのにあまり愛されていないみたいだった。
・・・結局内面というより、charmingでpleasantで相手の愛を受け止めているっぽく振る舞ってればいいのかしらん。。。と、少しもやもやしてしまった。

ただ、彼女は彼女で苦しかったんじゃないかと思う。
2人からあんなに愛されて、目の前で感情をむき出しにされて、普通だったら平気でいられない。
そのあたりの葛藤も映画では思い切りカットされていたので分からなかったけれど。
彼女目線でのこの物語も観てみたい。


Daisyのかわいさと、実際にしてしまったことを見て、自分の普段の行動についても考えてみた。
普段ひとに対して感じ良くいようと気を付けていて、それはそれでいいと思う。
でもうわべだけじゃなく、関わる人のことをもう一歩深く真剣に考えて本当の思いやりを持とうと思いました。

2013年9月24日火曜日

UXをシンプルに保つために

自分たちがユーザーグロースを担当しているサービスのUX全体について、プロダクトオーナーである社長から指摘を受けた。
曰く、なにか問題があったときに説明を追加して解決しようとするのではなく、見ただけでどうすればいいのか自然に誘導されるようなシンプルなUXに寄せていくべきだ、とのこと。
その指摘に対しては完全に同意だし、説明するという安易な解決策に逃げているのは確かにいけてないなと思った。

問題は、なぜ指摘を受けるまでそれに気付かなかったか、どうやったら自力で方向転換できたかということだ。
問題だった点を少し細かく考えてみた。


■UXについての執着のなさ
Keep It Simple & Stupid みたいな、説明しなくても分かるようなUXがいい、という知識はあった。
さらに、ユーザにはどんなに説明しようとしても伝わらないという経験則もあった。
でもそれはあくまで知識でしかなく、徹底して追いかけるものだとは考えていなかった。
そこにこだわるフェーズなのか?という疑問はいまだにあるけれど、そんなこといったらいつまで経ってもUXを良くできない。
精神論ぽいけど、UXに対する執着が足りなかったということだと思う。


■課題解決のための考え方
UXの理想についての執着が足りなかったのに加えて、課題解決のための考え方にも問題があったと思う。
サービスに対するユーザの理解が足りないために問題が起きているとき、解決するには説明するしかないと考えていた。それが前提だった。
それは、「トリッキーな仕組みを提供しているのだから、説明的になるのはしょうがない」という甘えだったと思う。
どんな仕組みだろうとユーザには関係ない。
言い訳してないで、ユーザが考えないで済むかつ迷わない導線をなんとかひねり出さなければ。

説明せずにわかる導線を考えるには、もう一歩踏み込んだり、立ち止まって遠くから見て、もっといい方法がないか検討することが大事だと思う。
当たり前解決で満足してはだめだ。
これでいこうという段階にきたとき、もう一呼吸おいて、ベストを考えようと思う。



2013年9月22日日曜日

タイプ7

仕事でもやもやしていたときのこと。
エニアグラムでタイプ7の上司の考え方にはっとした。



サービスの成功について、今までは深く考えてこれなかった側面で新たな指標を作ることになり、でもうまく考えられなくて悩んでいた。
私はタイプ的にすぐ冷めた目で考えてしまうけれど、特にひとを動かす時にはそのくらいの高揚が大事なんだなあと感じた次第。


そこに通りかかった上司が、最近読んだ本からヒントを得て、「この本のこの考え方をうちでもやってみたらいいんじゃない?」という提案をしてくださった。
それだけなら「そうかも」で終わっていたけれど、そこから
「この考え方でこうやったら、きっとこんな発見があってあんな施策を引き出せて、最高に楽しそうだよ!」
とどんどん気持ちが高まって(気持ちを高めて)いった。
そういう気分のコントロールって自分ではできたことがなかったので、びっくりした。

まずは、その上司とか他のタイプ7のひとがどうやってその高揚を出しているのか、もうちょっとよく観察してみようと思う。

自分の限界を超える意識

ラジオで、フィギュアスケートの羽入結弦さんとヴァイオリニストの加瀬太郎さんとの対談を聞いた。
羽生さんが、あんなにお若いのにきちんと考えていて、しかも他人に伝わるような言葉に落とせていることに感動した。
あと、「一定のレベルを超えたプロ同士の共感」っていうのがかっこよすぎる。
私もなんらかのプロになって、分野の違うプロ相手に深い共感を抱きたい!と思った。
ジェネラリストもいいんだけど・・・。


■プロ同士の共感
どういうところで共感してたかというと、極度に集中した状態というものが存在するということ。
その感覚がどうやら似ているらしくて、お互い「分かるわー。」みたいになってた。jealous.

曰く、あまりに集中すると、自分を客観視できちゃうそう。
演技をしている自分をスケートリンクの外から見ている感じになったり、演奏中なのにコンサートホールの全体が見えていたり。
数年に一度そういうことが起きるらしい。それが本番じゃなくて、練習で発揮されちゃったり。
でもそういう感覚が持てるのって素晴らしい。
本当に集中できることに出会って、実際にのめりこめてるっていう証だと思う。いいな。


■限界を超える
葉加瀬さんの
「本番は練習の何%くらい出せてるの?」
という問いに対して、羽生さんは
「100%です。練習で常に120%出しています。なぜなら、練習は常に自分の100%を超える場だから。」
と答えていた。かっこいい。

日々の仕事もそういうことだな、と思う。
私は甘くて、自分の限界を超えることに、なにか経験したことのない場を踏むとか、大きな失敗から学ぶとか、特別なことを求めてしまう。
でもそうではない。
毎日毎日、ちゃんと自分の限界に挑もうと思った。
「いつもよりもう一歩踏み込んで考える」とか、「定期的な計算業務を3分短縮する仕組みを作る」とか、なにかしらテーマを設定してやってみる。

明日は、Deniseに気を遣わせる回数を減らすという限界に挑もう。。

An Education

台風で外に出られないし、いっしょにいる友だちは読書してるので、時間がたっぷりできた。
ということで、下書きにためておいたブログを一気に書き上げてアップしてみることに。
まずは、結構前に観た映画 “An Education” で考えたことを整理してみる。


邦題は「17歳の肖像」だけど、An Education の方がずっといい。
何歳かなんて関係なくて、女性にとっての教育とはなにかを考えさせてくれる映画だと思った。
学校教育のような、キャリアにつながるものもあるし、付き合った男性に受ける影響(taming? )という意味での教育もあった。
*映画の邦題とか、URLの付け方とか、もうちょっとかっこよくなるといいのに。。。

主演は大好きなキャリーマリガン。安定の透明感とキュートさでした。
たった2コ上だなんて衝撃的すぎる。


総じて、きつい映画だなあと思った。
女性には幸せの形がいくつかあって、どれを選ぶかは自分次第。
でも、どれが一番自分にとって満足できる幸せなのか、周りになんて言われるか、などなど、選んでみないと分かんないことも多いと思う。
幸せの形の種類は誰に何を委ねるかのバランスだと理解している。だから、委ねた相手に裏切られたりすることもありえるし。
女性は選択肢がいっぱいあって、難しい気がする。


■私にとっての“いい人生”って?
誰に何を委ねるか。
委ねて得られるものはなにか。
・・・など考えてみる。
そりゃあ「できるだけ自分で責任を持って決断をして、将来を切り開いていくのが楽しい!」って言えたら一番かっこいいと思う。でも私は必ずしもそうではないと思った。
私の幸せは、身近で大事なひとが幸せで、私のことを認めてくれたり好きでいてくれること。
いろいろ自分で引き受けて決断すると、長期的に周りの“好き”とか承認を得られる。
短期的には、周りに決めてもらったことをしっかりこなすと、褒められたりして承認されてることを感じやすい。
「自分で責任を引き受けて決断する」を意識しつつも、短期的な満足が得られるようにうまいことバランスを取っていくのがいいのかなと思う。


■dirtyでずる賢いひとたち
教育と関係ないけど、David側のひとたちへの憧れって常にある。
あの割り切った感じとか、ものごとの裏側を捉まえてて利用しちゃう感じ。

私の周りには照れくさいくらい真っ直ぐないいひとしかいないので縁がない世界ではあるけれど、映画とかでみるとやっぱりかっこいいと思っちゃうなああ。
そっちの世界をちら見せすることで実際に覗かなくても満足させてくれるから、映画って本当にいいものですね、だな。

2013年8月3日土曜日

7月の振り返り

6/24に弊社サービスの大規模なアップデートがあって、7月は(開発関連でいろいろあったりして)みんなばたばたしていた。
8月に入ったタイミングで、事業部長から「時間を取って7月を振り返っておこう」というお達しがあった。いい機会なので、振り返ってまとめておくことにする。


■チームとして
サービスのユーザーグロースを担うチームとして、やるべきことは大きく3つあったと思う。

1. バグの検知とその対応
これはいけてなかったところ。
ユーザからのフィードバックと、自分で触ってみての気付きから、重要なものをできる限り拾ってくることが必要だったが、足りなかった。
気を付けて目を通していたものの、“これは重要”と感知する力と、具体的な対応を取る力が欠けすぎていた。
チームみんなが目を通しているものの、社長に拾われるまではスルーされてしまった件がいくつもあり、その中には致命的なものもあった。
結局はサービスの今後を引き受ける覚悟が足りなかったということだと思う。

2. 半期の目標への道筋決めと、走り出し
あらかじめ作っておいた仕組みに助けられて、形にはなったと思う。

半期を通しての目標に対して、ボトルネックになっているところを把握し、対策を立てるという流れは実施できた。
それは、施策検討会議を週1は行うこと、シミュレーションシートを作成して毎週アップデートすること、チームの動きを隔週で社長に報告すること、という3つのリズムがあったおかげだった。
課題発見→解決の流れがタスクとして組み込まれていることは良かったので、まだ意識の足りないところも仕組みを作り、定期的に考えたいと思う。

今チームの注意が足りないのはサービス利用の継続率。
実感として分かりやすく、対策を考えやすい指標を作って、これも週次で見ていこう。

ともあれ、その仕組みはあくまでリズムとして、常日頃から全体図を考える姿勢はきちんと持ちたい。

3. 旧リーダー抜きの体制を回す
これはサービスに対するものではないけれど、チームの体制について。
これまで引っ張ってくださっていたリーダーが別チームに異動するので、早く新リーダーのもとで回せるようにすることも重要な“やるべきこと”だった。

結果として回ってきてはいるけれど、もっと早くできたはず。
遅くなってしまったポイントとしては、個別の施策に深く入ってもらいすぎたことと、自分から仕事を奪いにいけずに分け与えられるのを待っていたことだと思う。

特に自分以外の担当分について、いっしょに細かい文言まで考えていただいたりして、相談に乗ってもらいすぎた。「チームのタスク」として捉え、もっと気持ちを込めていれば旧リーダーも安心して手放せたと思う。

自分から仕事を奪いに行く姿勢が足りなかったというのはそのままで、外部との打ち合わせの時にもっと主導権を持とうとしたり、視点を高く持てれば、新体制の成立を早められたと思う。

★8月からの改善方法
3つの役割についての反省からいって、腹をくくること、仕組みを作ることが重要そう。
腹のくくり度合いについては週次の振り返りに組み込むことにして、仕組み化については目標達成に対する取り組みそれぞれを単発で終わらせないよう意識することにする。
精神論に寄りすぎかな・・・。


■個人として
具体的に気を付けるべき「夏の生活目標」を作れたのがよかった。
半分くらいしか達成できていないものの、具体的に“これをやれば良くなる”というのがあると分かりやすくて、改善しやすいと実感。続けてみよう。


■旧リーダーとの振り返り
旧リーダーは、ご自身が完全にチームを抜けるまで責任を持ってチームメンバーを見ていて、私とも週次の振り返りの時間を設定してくださっている。
ご自身も新しいチームに入って大変なことばかりなのに、そんな配慮ができることに頭が下がります。旧リーダーの大きさを改めて実感してしまった。ありがたい。

あと、自分一人での振り返りは甘くなりがちだと分かった。
2人で振り返りの時間を持つことで、自分ではしない問いかけを受けることができ、改善につながっていると思う。

早いところ旧リーダーが安心して抜けられるように、怠けず考えようと思いました。


2013年7月21日日曜日

二都物語

二都物語を観に行ってきた。
久しぶりの舞台鑑賞はやっぱりわくわくする!帝国劇場のたたずまいも相変わらず素敵でした。

話の内容も、舞台となる時代さえも知らずに鑑賞したけれど、レ・ミゼラブルとほぼほぼ同じだったので話の筋は飲み込みやすかった。
というより、レ・ミゼラブルと雰囲気も話の構成要素もそっくり。
最初は違いを見つける方が難しかった。


■レ・ミゼラブルとの違い
違いを考えてみたら、同じフランス革命がテーマでも、原作者の立場が全く違うことに気付いた(当たり前。。)。
私の浅い認識では、レ・ミゼラブルの方はフランス人が、二都物語はイギリス人が見たフランス革命で、イギリスから見ると、全てを称賛できるような感じではなかったんだなと思った。
第2幕のはじまりに出てくる革命をテーマにした大道芸は、怪しげな音楽に乗せて下品に見せていて、かなり意地悪な表現だと思う。
逆に、処刑される側の貴族へは、レ・ミゼラブルよりも同情心があって温かみはあった。
フランス革命はヨーロッパ中で称賛されたものかと勘違いしていたので意外だったけど、よく考えれば距離がある分見解が違うのも当たり前だと気付いた。

とはいえ、物語として盛り上がる要素”の認識は英仏で同じだったみたいでおもしろい。
見返りを求めない愛、深くてやりきれない恨み、酒場のノリ、こどもの犠牲、ピュアで育ちのよい女性、などなど。
よく分からないけど、キリスト教的な世界観は共通していたのかも、と思った。


■役者さんの実力
お芝居の種類としてもレ・ミゼラブルと同じで、群像劇だった。
最後の方なんて特に展開が早くて、あのひとのために泣いた30秒後にはこのひとのために泣いて、といそがしい。
そんなに詰め込んでも感情移入できるのは、やっぱり役者さんが素晴らしいからだと思った。

どの方も素晴らしかったけれど、特に感激したのはマダム・ドファルジュ役の濱田めぐみさんと、テヴレモンド伯爵役の岡幸二郎さんだった。
濱田めぐみさんは、彼女にしかうまくできない役がいっぱいあるなあと思わせるような、圧倒的な実力だと思う。
彼女が歌うといつもぞくぞくします。同じ時代に生きていることに感謝したい。
そして岡さんは“別世界の住民”感がすごかった。
別の星で育てられてある日地球にぽんと置かれたような、民衆とは絶対に相容れない感じ。
しゃべらなくても、雰囲気でもう和解の望みがないことがはっきり分かる、やりきった演技だと思った。
レ・ミゼラブルでは革命側のカリスマ、アンジョルラスがあんなに素敵だったのに・・・!

とにかく、ほとんどどのキャストの方もしっかりキャラクターが深いところからできあがっていて、すんなり感情移入することができて素晴らしかった。


■私の好きな人格
今回の主役、シドニーの役がとても好きで、自分が尊敬するひとのタイプを再確認してしまった。
シドニーが見返りを求めずに愛を捧げ通すところがクライマックスなのだけれど、シドニーがピュアで汚いことをあまり知らないからこそ愛を信じられるキャラクターだったら、私はあんまり感動できなかったと思う。

彼は酒に溺れて最低の仕事をしてきたり、ずるくて汚いこともたくさんやってきたりして、世の中を裏側までしっかり知っているひとだった。
その上でルーシーのピュアさを本気で信じ、愛せるというところが尊いし美しいと思う。
そういう奥行きのあるひとに私は本当に憧れてしまって、そんなひとの愛や腹の据わり方に感動する。
私自身は世間知らずで、とてもそんな風になれそうにないけれど、せめて何も分かってないなりに一生懸命生きようと思いました。・・・って漠然としすぎて何も言えてない感じですが。



次はモンテ・クリスト伯を観に行く予定です。


2013年6月22日土曜日

過大評価

周りの方々に過大評価してもらってるなあ、というのが常日頃から感じている私の偽らざる感覚なのですが。
でも、周りの思いを引き受けたり、自分への期待過剰を和らげたりするという意味で、過大評価という感覚はちょっと見直さなきゃいけないと思った。


■上長からの半期の評価

そう思うようになったきっかけは2つあって、1つは人事考課のフィードバックだった。

これまでの考課になく、私自身の成長を認めてもらえて評価の数字にもそれが表れていて、とても感激した。

自分自身でも、確かにこれまでからは変わって自分の成長についての考えを改められた期だと思う。
ただ、自分の成長に対して、仕事に対して、向き合い挑みきれたかというとそうではないと感じている。逃げたり、怠けたりしたこともいっぱいあった。
そういうことを思い出すと、褒められた時に素直に受け止めきれず、“そこまでじゃ・・・”みたいに思ってしまう。

そういう感覚が必ずしも悪いとは思わない。
その感じが私を曲げているわけではないし、むしろ“もっとやろう”というモチベーションにもつながっていると思う。
ただそれは、自分に対する分不相応な期待とも言えるなと思うようになった。
そろそろ自分の力を冷静に見つめて、自己評価が低いことで周りにいらぬ心配をさせる状態から抜けださなきゃいけない頃かもしれない。。


■大事なひとからの真剣な評価
もう1つのきっかけは、私のいいところについて、大事なひとが言葉を尽くして話してくれたことだ。
そこまで言葉にして認めてもらった経験は初めてだった。
うれしくてもったいなくてまだうまく整理できていないけれど、とにかくそこでも“過大評価”感が顔を出しかけて良くないなと思った。

この反省は人事考課の時に思ったこととはまったく違う。
自分ではなく、相手への向き合い方の問題だった。
“私なんて・・・”という態度を崩さないことは、自分が傷つかないように防御線を張ることなのである意味楽なんだけど、相手に対してひどく不誠実だと思う。
本気で言ってくれたことをかわそうとするんじゃなくて、その気持を精一杯引き受けようと思う。
その上で、直した方がいいところがあれば素直に直せばいい。



■人事考課フィードバックでの刺さりポイント
自分への“評価”ではないけど、モチベーションコントロールにおいても感動した。
こんなにフィードバックでモチベートされたのは初めてだったのです。
”切羽詰まってるんだから覚悟を決めましょう”という危機感と、“その危機を乗り越えてみんなで次の世界を見よう。それを引っ張れるのはこのチームだけだよ。”という期待感がいい塩梅で伝わってきて、すごいくすぐり方だと思った。
今期、がんばります。

そういえばサークル時代はめったやたらに危機感だけを強調していて、結構げんなりしたなあと思い出した。
私に対する“次の世界を見る”っていう言葉みたいに、相手に刺さる言葉で伝えるということの大事さを改めて学びましたよ。

2013年6月9日日曜日

I promise I'll be a hero for you...

昨年末に観た「アリス・イン・ワンダーランド」というミュージカル。
好きすぎて、日本語版のCDも英語版のCDも買ってしまった。
音楽は、安心と実績のFrank Wildhorn先生。

両方を聴き比べてみると、ラストの歌詞が随分違った。
日本語版は単にネタばらしで、英語版は一歩踏み込んでいる。
今回はその内容には触れないけれど、そこに入っている、“I promise you'll be a hero for me, and I'll be a hero for you.”という歌詞がよく分からなくてずっと気になっていた。
ヒーローって、お互いになり合うものなのか??とか。自分には馴染みのない概念だった。

最近になって、やっとぼんやり理解できた気がするので整理してみる。


■“ヒーロー”の定義
そもそも理解できなかったのは、歌詞の中の“ヒーロー”と私の考えるヒーロー像にずれがあったからだったと思う。
私の考えるヒーロー像は、“ピンチの時に助けに来てくれるすごいひと”だった。
ピンチから脱するためならどんなことでもしてくれて、いつもなんとかしちゃう感じ。

でもきっとここでいうヒーローというのは、現実にいる周囲のひとともっと地続きの存在だと考えるようになった。
特別な能力もなければ、いつもピンチに気付けるわけでもない、普通のひと。
でも、大事なひとを本気で守ろうとしているひと。
そんな感じで捉えると分かりやすくなった。


あと、先の歌詞を分解してみると、"you'll be a hero for me"の方はまだ分かる、と思っていた。
そして、"I'll be a hero for you"というのがどうにもしっくりこなかった。

でも上記の定義と合わせて考えると、お互いにヒーローになるというのは、単にお互いのことを本気で大事に思うことだと思う。
相手のことを本当に考えているなら、“ヒーローになる”というのは突飛でも傲慢でもなく、当たり前のことなんだろうと思うようになった。


■私がヒーローになるには?
じゃあ私が大事なひとのヒーローになるってどういうことなのか。
それを考えるには、上記からさらに突っ込んでヒーローを定義する必要があった。
結果、大事な相手を本気で守ろうとしているだけではなくて、相手にいい影響を与えられるというのが私の考えるヒーロー像だとした。
それに基づくと、今のところ下記の3点が大事そうだと思っている。

1. ヒーローは人格的に優れている。
相手にいい影響を与えるのなら、基本的な人格がしっかりしていないとどうしようもない。基本です。
※すべての面で自分が一番じゃなきゃいけないわけじゃない。
相手の優れているところにはしっかり敬意を払い、刺激し合う関係がいいと思う。
自分の方が優れていないと安心できないというのは、自分のエゴだと思うことにした。

2. ヒーローは自分の努力をアピールしない。
相手に影響を与えようとするからって、自分ががんばったことをアピールしちゃかっこわるい。
そんなことはあまり口に出さず、それでもにじみ出る人間性に力があるといいな、という自分には無理めなことも書いてみる。
※こういうことをブログに書く時点でどうか。。。ということは気にしません。

・ヒーローは折れない。
悩んだり弱ったりするけど、たいていがんばっている存在でありたいと思う。
弱音は吐くかもしれないけれど。


ということで、昔聞いた歌の歌詞で分からなかったところも、自分の状況が変わったりすると理解がすすむものだなと思った。
本とかも読み返そうかな。



2013年6月5日水曜日

ブログというコミュニケーション

同僚が一日だけ個人ブログを公開してくれた。
その中には、悩みが吐露されている私のブログポストに対するレスポンスもあった。
そんなに真剣に読んでくれてレスまで書いてくれてたなんて、、、胸が詰まる。
そんなレスには反応しなきゃだし、感想のリクエストもあったので、感じたことをまとめておこうと思います。

※このブログは基本的に読み手を意識して書いたことがないので、だいぶひよってはいる・・・。
けど、「迷ったら勇気の要る方を選ぶ」という私の原則に従って書いてみます。
書き始めたら、コミュニケーションについて、みたいな大きめの話になってしまった。。


■ひとは見た目じゃわからない
身近にいる人のブログを読むということを初めて体験してみて、見た目と考えてることとは違うんだなあと改めて思った。当たり前ですが。

軽やかにしていてもしっかり自分に向き合って考えているひともいれば、深刻な顔してる割にあまり考えていないひともいると思う。
どちらにしても、じっくり話をしたいと思えるひとが近くにいても気付かず、イメージだけでコミュニケーションの取り方を決めてしまうことが大半なんだと思う。
ううん、もったいない。

逆に、好きなブロガーさんでも会ってみたら印象が違った。。。ということもありえるんだろう。

自分が話したいひとを見つけて人生をより濃くするには、先入観持たずに一歩踏み込んだコミュニケーションを取るしかないということかなー。

※星新一さんのショートショートで、初対面同士の会話を弾ませるために過去の経験をことこまかに入力したデータベースを会員ネットワーク内でシェアして、共通の話題を見つけ出す機械の話を昔読んだことがある。
過去の経験もそうだし、考え方についても同じことができればおもしろそう、と思った。
共通なだけじゃなくて、おもしろいと思う要素同士をぶつけられたら楽しい。


■「書く」コミュニケーションタイプ
ひとによって得意なコミュニケーションタイプがあると思っていて、タイプが同じというのは大きいなと思った。
タイプとは、
 [理解する]“読む” or “聞く” x [まとめる]“書く” or “話す” x [伝える]“書く” or “話す”
の組み合わせ・配分だと思っている。

私が一番周りとギャップを感じるのは[まとめる]パートで、話しながら、相手との議論を踏まえつつ考えをまとめることがどうにも苦手だ。
私にとって考えをまとめるというのは、時間をとって文章に落とすということ。

単にアウトプットの方法だけれど、そこが合っているというのはかなりコミュニケーションが楽かも、と思った。


■言葉の力を大事にする人は信用できる
例えば同じ“書く”タイプのひとであっても、合う合わないはある。
同僚のブログを読んで、「言葉を大事にするかどうか」というのが私にとってひとつの大きな基準だなと気付いた。
大事にしないひとは興味がない、というわけではなくて、大事にするひとには特に反応してしまうという感じ。

言葉には独特の力がこもると思う。
どんな名前を付けるか、思ったことのうちどこまでは口に出すか、ひとを何て呼ぶか、、、。
そういうことを意識しているひとは、私にとってかなり魅力的なんだと分かった。


■健全な自信
ブログの具体的な内容についてひとつ触れてみる。
“仕事を辞めようかと思った”という投稿があって、結構ずしんときた。
結果として、同僚は逃げずに今も会社に留まってくれている。

だいぶ大変そうだということはうっすら知っていたし、今の堂々たる仕事っぷりはその経験に裏打ちされているということも理解できる。
でも普段はそういうこと忘れがちだなと思ってはっとした。
健全な自信というものは、逃げなかったとかやりきったとかいう自分が認識する“実績”から生じるんだなと、これまた当たり前のことを思った。
まずは自分自身に恥じないような経験を積み上げて、揺るぎない自信を私もつけていきたいと思う。

そういう“逃げなかった”ことを「よかった」とだけで片付けず、今も判断について考え続けていることも新鮮・・・というか尊敬するところ。


ブログ全体に対する所感というのは難しい・・・。
けど、考えていることをある程度の長さの文章に落としてコミュニケーションに使うというのはやっぱりいいなと思う。

一方で、感情がしっかり言葉になってSNS経由でひとに読まれてしまいかねないという今の世は、だいぶおそろしいとも思うです。
ひとに、本音とかタテマエとか仮面とか毒とかあるってことが直接分かってしまうなんて・・・!
私はあんまり見ないように気を付ける派です。

2013年5月11日土曜日

がっこう

学校に通い始めた。
先生に褒められた。
友達ができた。

学校・・・いいな。


でも、終始受け身のくせになにかがんばった感がするのはこわい。
「“インプットを成果につなげる”のではなく”成果のためにインプットする”だな。

2013年5月5日日曜日

親切の重さ

浅草にロシアから来た友達を連れて行った。

その子の写真を撮っていたら、
「あっちを背景にするとスカイツリーが入るよ!」
といきなり声をかけられた。
見ると、いかにも親切そうなにこにこした初老の夫婦。
お言葉に甘えて、スカイツリーをバックに2人の写真を撮っていただいた。

その子はすっかり信用していたけれど、高価な一眼レフカメラが盗られるんじゃないかと思って私はひやひやしていた
警戒しつつ写真に収まっていたけれど、もちろん何事もなく写真撮影は終了。ほっとした。
「写真お撮りしましょうか?」
と聞いてみると、
「私たちはこのへんに住んでるからいいのよ。兄妹なの。」
とのことだった。

こんな親切なひともいるんだなあと思った。
でも、警戒されていやな思いをされることも多いんじゃないかと余計な心配をしてしまう。外国人がこの親切を素直に信用できるとは思えません。
それでも親切にするというのは、親のそんな姿をよく見ていたり、すごく困ったときに親切にしてもらったことがあったりして、染み付いているのかなと思う。
親切にされただけじゃなくて、自分の受けた親切のありがたみをよくよく分かった経験があるかどうかというのは大事そう。


「親切」とはちょっと違うけれど、「道徳的に正しいことを積極的にする」ということもまた、そのありがたみとか大事さを実感できているかどうかで決まるのかなあと思う。
妊婦や高齢者に電車で席をゆずるとか、倒れてしまったホームレスの方を助け起こすとか、目の見えない方を案内するとか。
私の大好きな先輩たちは、こういう振る舞いをとても大事にする。
私は、大事だとは思うけれど、先輩たちのように積極的に実践できていない。
その差は、その行為が持つ意味とか価値とかを十分に理解できているかどうかなのかなと思った。
ちゃんと理解するには、とりあえずたくさんやってみる!がいいと思ったのでそうする。



それにしてもロシア人って自分のポートレート撮るのが好きな人種です。
「太ったから写真を見ると悲しい」とか言いつつ、ちゃんとポーズを取って決まってるところがすごい。
カルチャーショックでした。


初老のいかにも親切そうな紳士に5,000円騙し取られたことがある。。。

2013年4月7日日曜日

先輩の愛

お誕生日祝いと称して、会社の先輩方に飲みに連れてっていただいた。
本当にもったいないほどの愛を受けて、まじでがんばろうと思った。


この先輩方には、大学生の頃からずっとお世話になっている。
私はインターンとして法人向けサービスのマーケティング部門で働き始めて、社員になってからも2年ちょっと同じ部門にいた。
先輩方は、同じ法人向けサービスの営業部にずっといらっしゃる。
私が入った当初は営業部が4人くらいで、マーケティング部門との距離感も比較的近かった。
この3年くらいで、人数が増えたり、営業部内でいくつもグループができたり、部長が立てられて以前よりも独立した部門になったりと、いろいろと変化があった。
私はずっとマーケティング部だったが次第に営業部との関わりが深い業務から外れ、個人向けサービスの方の助っ人として入っていくうちにそちらの部署に異動になった。

だから先輩方とは、距離が遠くなって話をすることもほとんどなくなっていたので、今回声をかけていただいて本当にうれしかった。
また、遠くにいてもわかるほど私が元気なさそうなのかなあと思い、申し訳なくもあった。


飲み始めて話していると、先輩方は本当に変わっていなかった。
いつも通り愛にあふれていて、ぽかぽかしていた。

私は自分の今後についてここ最近考えていたことをそのまま話した。一時は悩んでいたけれど、社長にも相談して今はすっきりしているということを知ってもらおうと思った。
先輩方はそんな話を受け止めてくださった。
しかも口には出さなかった私の甘い考えもお見通しだった。ほんとにかなわない。
もやもやしていたことも改めてハラオチして、やっぱり努力を積み上げるほかないなと思った。


そのあとは、どんなに私のことを好きで大事に思っているか、ひたすら話してくださった。
うれしすぎてなにも言えなかった。
こんなに素晴らしい方々に大事に思ってもらえるなんて、なんだろう。
とにかくこの感激を書き残しておきたい。


彼らに出会ってから、自分の理想の人物像ができた。
私は彼らのように、自分よりもひとのことを大事に考え、周囲に愛を与えられるひとになりたいと思うようになった。
大学まではそんなひとが身近にいなくて、そういうひとがいるのだということすら知らなかった。
今の会社に入って彼らと話したりいっしょに働いているうちに、仲間や後輩に愛情をもって、とにかく態度や行動で示す姿を見せてもらった。
さらには見知らぬひとにまでまっすぐな愛を与えている。それは仲間への愛情とはもちろん種類が違って、困っているひとを決してそのままにしておかないという姿勢がある。
私はその姿が大好きで、そういうひとになりたいと強く思うようになった。

今の私は、自信をもって彼らに向き合える状態じゃないと思う。
怠けたり自分のことばっかり考えたりで、むしろ顔向けできないくらいに思っている。
それでも彼らが私を愛してくれていることが分かって、本当にありがたいやら申し訳ないやらでつらかった。
でもその温かさにすごく救われた。


あとはこの夜のことを忘れずに、自信を持って行動していくこと、まっすぐで周りに愛をあげられるひとになることをひたすら実践したい。
それだけが彼らの愛に応えることになる。
とにかく、逃げずにがんばる。がんばろう。



つらいときにはこの宝みたいな夜のことを思い出そうと思います。
撮ってもらった写真も宝。







2013年3月24日日曜日

神山で出会ったひとびと

一週間、徳島県は神山にあるサテライトオフィスで合宿してきた。
実に1年半ぶりのサテライトオフィスと神山。
サテライトオフィスは普通に快適になり、神山はさらにおもしろそうな人が集まっているようだった。


サービスのリニューアルに伴い、やることを整理したり、ユーザへのメッセージを整理したりすることが今回の合宿の目的だった。
前半は母屋で打ち合わせや現バージョンの対応中心、後半は新設されたワーキングスペース”NAYA”を使わせてもらって作業をした。
NAYAは快適で、視察が多かった。
1週間で3組くらい訪問するなんて、神山への注目の高さを実感した。


わずか1週間でも、人との出会いがいろいろあった。
お昼や夜を食べに出るたびに、定食屋さんやスーパーなどで人に声をかけたりかけられたりする。
神山に定住して2か月目になるメンバーがいっしょだったからなおさらで、血抜きもしていない鹿肉をもらったりもした。

出会った人の中で、ちゃんと話を聞けたのはグリーンバレーの大南さんと、流浪のたこやき屋であるたこびんさん
大南さんは相変わらずかっこよくて、たこびんさんは濃かった。


■大南さんのリーンさ
大南さんは、みんなでグリーンバレーにご挨拶に伺った時、時間を取って話してくださった。
訥々と、でも力強く語る大南さん。最高にかっこいい。
いつも大南さんの話を聞きたがっている私の上司がいたからか、いま神山で起こっていることやそのモデルなどについてゆっくりお話してくださった。

以前講演にきてくださった時もそうだったが、そのリーンな姿勢にとても刺激を受けた。
取り組んでいらっしゃる「村おこし」というのが、もともとリーンとは対局にあるようなイメージなのでなおさらかもしれない。
そしてそのリーンさには、2つの側面があると思った。

・個別の取り組みへの姿勢
神山塾、企業誘致、移住受け入れ、アーティストインレジデンスなどいろいろな取り組みのひとつひとつを、間口を広くして「まずやってみる」姿勢で走らせている。
最初からゴールを決めきってそれに向かうのではなくて、「なにかが起こる」余地を残す感じ。まずは最初の一歩を踏み出してみて、それを着実に、ゆとりをもって進めているように感じる。

なにかが起きるまでは周囲の理解を得ることが難しいかもしれないけど、でもいったんつながると周囲の反応が変わり、もっとなにか起こすための猶予の時間が増える。
そうやって、ばらばらだった取り組みが結びついたり、外の人とつながって発展したりする。
そういう姿勢がとてもおもしろい。


・全体の構造
今までの村おこしと同じに見えて構造がぜんぜん違う。

企業誘致ひとつ取ってみてもそうで、普通は誘致できる設備を整えて優遇の条件などを決めてから呼び込みにかかるものだと思うけれど、神山モデルは逆だ。
企業がオフィスを開くという実績が1つずつ重なってきて、それが話題になることで県からの協力を得られたり、交通網が整えられたりする。

先に設備を整えようとすると、大きなお金が必要になるし、整えた後で本当に企業が入ってくるかわからないというリスクを抱えることになる。
下から積み上げていけばリスクは小さく抑えられるし、早い。

いろんな施策がこのようなリーンな発想のもと進むから、周囲から見ているよりもずっと革新的でおもしろい構造になっていると思う。
その感覚を当たり前に持って行動を続け(おそらく同じ感覚を共有できる人がいなかったときから)、周囲に発信できる大南さんって、やっぱりすごい。


■たこぴんさんの人生観
たこびんさんとは偶然スーパーでお会いして、「おいしいもん食べさせたる」と言って来てくださった。
「たこびん、しゃべりすぎやな」とか言いながら12時過ぎまで語り続けていた。
確固たる人生観があって、もう絶対にぶれない感じだった。

・「成功する人」について
“成功する人は自分から大きなことを言ったりしない。大きなことを成し遂げる人は、周りがその人に活躍してもらうために推すのであって、自分から出て行ったりしない。”
ということをきっぱりと主張されていた。
あんまりきっぱりしているので、「とはいえ有言実行型の成功者もいるのでは・・・。」と思いながら聞いていた。

※大南さんの人望
この信念に合う人の例として、大南さんが挙げられていた。
なろうと思えばすぐにでも県議会議員などになれるし、周りもそうしてほしいと頼んでいるのに、「自分はその器じゃない」と辞退させるそうだ。
こんなたこびんさんにも熱く支持される大南さんの人格は、私が感じられるよりもずっと大きくて強いんだなと思った。


・人を喜ばせるという自己満足
料理人としての修行をしてきていて、おいしいものを作って周りの人に食べてもらうことができるので、よく人を招いたり人の家で料理したりして、金額にすると年間数万〜数十万円は使っているそう。
無駄遣いでアホなことしてると思うけれど、食べた人が「おいしい。ありがとう。」と言ってくれるだけでいいという。“自己満足だけどそれでいい”そうだ。
たとえ自己満足だとしても、誰かの喜ぶ顔を自分の喜びにできるっていうのは私の憧れるところ。苦労を重ねて器が大きくなると、そんなふうに感じられるようになるのかなと思った。



神山のひとたちだけじゃなくてチームメンバーについても、1週間もいっしょにいると知らなかった一面も見えてきてたのしかった。

どこに行っても何を見ても、私が一番興味を持つのはやっぱり“人”だと思う。一番煩わしく思うのも人だけど。

深入りするのをやたらと避けたり、どう思われるか気にしたりするのはできるだけよして、きちんと関わっていかなくちゃと思う。


2013年3月6日水曜日

Macで取得したファイルパスをWindows形式に変換する

Windows環境の中Macだけで仕事をしようとすると、 頻繁に困ることがあります。
それは、共有サーバに置いたファイルパスのやりとりです。

Macでは/で区切られているのに、Windowsでは区切りの記号は\で、しかも文字コードも微妙に変わってるらしい・・・。
というわけで、ファイルの置き場所を伝えるのに苦労して(というか工夫しようとしてもどうにもならないので、迷惑をかけて)いました。

これがautomatorを使えば解決するらしいと聞いて同僚のエンジニアさんに相談したところ、MacのパスをWindows形式に変換するプログラムを数分で書いてくれました!感激!
もったいないので共有します。


■手順

1. automator.appを立ち上げ、「サービス」を選ぶ














2. 基本の設定をする










「ファイルまたはフォルダ」を受け取り、対象を「すべてのアプリケーション」とします。


3. 「Apple Scriptを実行」を選び、コードを書く











左の列から「Apple Scriptを実行」というのを見つけてきて、ドラッグアンドドロップします。
もともと入っているコードを消し、下記のコードを上書きします。

-------------
on run {input, parameters}

tell application "Finder"
set sel to the selection as text
set the clipboard to POSIX path of sel
end tell

return input
end run

------------- 


4. 「シェルスクリプトを実行」を選び、コードを書く










次は「シェルスクリプトを実行」というのを見つけてきて、ドラッグアンドドロップします。
同様に、下記のコードを上書きします。

-------------
ARGV.each do |f|
puts "\\" + f.gsub("/", "\\").sub("Volumes", "xxx.xxx.x.x")
end
 
-------------
※"xxx.xxx.x.x"を共有フォルダのパス名に置き換えます。
※引渡し方法は「引数として」を選択します。 


5. 「シェルスクリプトを実行」を選び、コードを書く(2つ目)












もうひとつ、同じものを選んでドラッグアンドドロップします。
2つ目は下記のコードを上書きします。
-------------
echo "$1" | iconv -f UTF-8-MAC -t UTF-8
-------------
※ここでも引渡し方法は「引数として」を選択します。

6.  「クリップボードにコピー」を選ぶ
最後はドラッグアンドドロップするだけです。 



 
7. 保存する

適当な名前をつけて保存してください。
ここでは「Pathコピー」としてみました。



■使い方

使うときはどうするかと。

パスを取得したいフォルダをダブルタップしてみると、下の方に「サービス」または先程付けた名前が出ていると思います。これを選べばOKです。














※画像には過去の失敗作の名前も出ていますが気にしません。※消し方が分からな(ry

これでコピー完了。
あとは好きなところに貼りつければすぐに使えると思います。



■所感

この便利なよのなかで、こんなによくありそうな課題がアプリとかでさくっと解決できないことに驚きました。あるかもしれないのですが、軽くぐぐっただけでは出てこなかった。。。

そしてなにより、プログラマさんってすごいなあと単純に思いました。
いいなあ。



以上、私のブログおそらく最初で最後となるプログラミング系の稿でした。 



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※2013/3/24 追記
逆(Windows形式のパスをmacで開く)は、下記サイトの通りに設定すればできました。
多謝!

MacのAutomatorを使ってWindowsのファイルパスを変換しつつFinderで開く方法



2013年2月23日土曜日

映画「レ・ミゼラブル」

ミュージカルとイメージが違うだろうから、観るのを避けていたレ・ミゼラブル映画版。
先輩から強いPUSHを受けて観てきました。

まずびっくりしたのは、かなり構成が舞台に忠実なこと。
もちろんだいぶ印象は違うけれど、歌なんてそのまんまだった。(ので、歌のうまさの違いが際立ってしまった。。)
同じ歌でも、字幕付き英語で聞いて初めてニュアンスが分かったところも多々あって、それだけでも観てよかったと思う。
舞台はもちろん日本語でしか観たことがないし、英語版のサントラは訳がなくてなんとなくでしか聞けてなかった。
 ※starsは、星を警察部隊に例えてたのか・・・狂ってるだろ。とか。

アン・ハサウェイはじめ役者さんたちがすばらしかったし、いい映画だと思った。


逆に映画だからこそ気になったこともあって、それはキリスト教のやだみだ。
登場人物の多くは、心からの愛とか誇りが芯にあって、だから本当に魅力的な人物なんだと思う。
とても尊敬する生き様であり、彼ら自身の基準でやるべきこと、守るべきことを判断して行動しているんだと思う。

なのに、彼らは最期まで神の許しとか祝福とかを気にしている。
・・・立派な人生を送ったんだから、もうそこに縛られなくていいじゃない!と、神への怒りがふつふつと湧いてきてしまいました。
これも英語での“祝福”とかのニュアンスが字幕によってより分かるようになったからだと思う。


PUSHしてくださった先輩と一度“バルジャンのすばらしさ”などについて語ったことがあったので、改めてどうしてあんなに魅力的に感じるのか考え直してみた。
彼は、「バルジャンは法は破るし嘘はつくし滅茶苦茶だけど、でも自分の基準で正しいと思うことについて妥協しないからかっこいい」と言っていた。
確かに、法でがちがちに縛られてしまったジャベールとは違って、自分の信念に忠実で、ときに型破りなところもあるバルジャンは魅力的だと思う。

今回改めてバルジャンを観て、そのすばらしさは周囲への深い愛だと感じた。
あんなにひどい仕打ちを受けておいて他人を愛せるなんて・・・!と思う。
自分の欲や犠牲に構わず、ほとんど見ず知らずのマリウスのことを思えるあの愛の深さは、本当にありがたく尊いと思った。
でもマリウスの手紙を読んだ時のあの親ばか慌てっぷりはしっかり映画にも受け継がれていてほほえましいw

ただ、愛ならなんでもいいんじゃなくて、無垢な愛とかはあんまり貴重じゃないかも。。。と思った。
マリウスとコゼットの愛とか、あんまり感動しない。「他のひとたちの苦労や愛も知らず、この坊ちゃん嬢ちゃんが!!」と思ってしまったなあ。

それに比べたら、たくましく生きてるガブローシュの方がすてきだった。
ガブローシュは愛に生きる感じではないけれど、いい誇りを持っていて背筋が伸びている感じがした。すてき。

きたないこと、つらいこと、理不尽なことを呑み込んでこそひとの深い魅力は生まれるのかなあと思いました。



しかし上映時間が長めとは言え、あの濃い内容を1つの映画にまとめるなんてすごい。
そして1回観ただけで深く理解できちゃう先輩も改めてすごいと思いました。

敬遠していないで観てよかった!

2013年2月20日水曜日

親切

今日もたいへん親切にしてもらったので、役に立てるようがんばろうと思います。



“親切にすること”と“愛を与えること”と“いい顔をすること”は違うなあとしみじみ思った。

親切を受けた分、他のひとに返そうと思ったけれどうまくできず、いい顔しただけになっちゃったのかなあと思ったからだ。

逆に“愛”だと、無条件でふしぎなくらいそのひとのことを思っちゃう、自分の持っているものも分け与えちゃう、という感覚を持っている。
うちの会社にいると、違う部署のひとから愛を受けることもあるので。ええ。


なにが違ったんだろうと思い、“親切”を辞書でひいてみると、「思いやりをもって人のためになにかすること」という内容だった。
ちなみに、“「切」は刃物をじかに当てるように「身近である」「行き届く」という意味がある。つまり身近に寄り添い、行き届くようにすることだそう。へえ。

具体的になにがうまくいかなかったかというと、仕事に対するもやもやについて話してもらったとき、それを解消することができなかったのである。
私自身がもやもやしているんだから、 解消することはちょっと難しかったのだけれど、いっしょに悩んでしまうよりは他にもっとやりようがあったはず。ということで何ができたか振り返ってみた。


やりよう1:自分のもやもやは置いといて、ひたすら相手のもやもや解消に努める
→自分の迷いを隠しても伝わってしまう。真摯でもない。これはだめ。

やりよう2:上長と話す機会をセッティングする
→自分のもやもやが邪魔になって解決できないと分かったなら、早い段階で他のひとの助けを求め、非生産的な時間を短くすることもできた。これはやるべきだった。

やりよう3:飲みに行く
→いっそ飲みに出て、話が尽きるまで/思い切った決断ができるまで酔えばいいじゃない。
これもやるべきだった。


どうして上記ができなかったかというところで最初の親切の話に戻る。
できなかったのは、“寄り添う”ということができておらず、相手との距離があったからだと考えた。

私は話を聞きながら、どうしたら部の体制や動きが改善され、問題が解決するかを考えた。
しかし 、考えるべきはその人が部の状態をどう捉えていて、どうしたらすっきりするかということであり、実際に何が問題なのかということではなかった。それは後でひとりで考えればよいことで。
自分の課題感を横にどけておいて、あくまでそのひとの気持ちになることが足りなかった。

今度からは“寄り添い”を意識しようと思う。





2013年2月17日日曜日

思考停止状態に気付くこと

社長に話を聞いてもらっていて指摘を受けたことその二。
なにか固定的な拠り所を決めようとして、思考停止に陥ることが多いということ。

例えば部門の目標数値が変わったとき。
その目標数値が絶対であり、その数値を上げるということに嵌りすぎる。
目標数値は、あくまでより大きな目標の目安となることであり、それ自体を目指せばいい判断ができるわけではない。
「これは絶対だ。変わらない。」と思うと、そこで思考停止になってしまう。
要所要所で視線を引いて、一番大きな枠組みで今やっていることを冷静に見なければいけない。



社長のように、まっすぐに本質を見極めて掴めるようになりたい。

今の自分との差を考えるだけではなくて、自分がした判断をベースに少しずつ少しずつ上げていく方法を考えることが大事だと思った。

今までは、自分の判断なんてかっこわるくて見たくなくて、目を逸らして上ばっかり見ようとしていた。
でも上は、近付いてみないとどんなに高いのか分からない。
推量して「こんな感じですごいんだろうな!」とか思ってもしゃあないので、自分の足元をしっかり踏み固めて、一歩ずつ上っていこうと思いました。


現状から目を逸らすのは結構得意技だと思えてきた。。
いけてない自分を否定するだけして諦めるんじゃなくて、 認めてあげて辛抱強く上げていかなきゃいけないのだ。きつくても楽しもう。

2013年2月16日土曜日

続 スキル

スキルを身に付けるために、いったん今の会社を離れて修行し、その後戻ったり他の会社に行ったりしようと考えていた。が、まずは今の環境で逃げずにがんばろうと思い直した。

何人か先輩方に相談したところ、「社長に直接相談しちゃいなYO」というアドバイスをいただき、その週のうちに実行。
聡明な社長は私のもやもやの本質を見抜き、アドバイスをくださった。
「スキルを身に付けることは良いと思うし、向いていると思う。
ただ、あなたの課題感は、スキルを身に付けるという選択で解決するものではない。
問題の解決をスキルや知識などの外部装置に求める人は伸びない。
外部装置以外で判断の質を高められるように日々振り返りをし、力を伸ばしたらどうか。」


分かりやすい道に逃げているだけだということはうすうす気付いていていたけれど、自分でしばらく考えても、何人か先輩に相談しても、はっきり認めることができなかった。
社長との話でその逃げをすっきりと認めることができたので、今の環境でちゃんと課題に向き合うことにしましたよ。


しかし、転職を考えたおかげでリマーケティングかなにかに記録され、どのサイトに行っても転職の広告が出てくるようになってしまった。。

2013年2月13日水曜日

いつもの壁

仕事をしていると、何度も同じ壁にぶつかる。
自分の場合は、仕事の範囲を(狭く)線引きすることだ。


今回は、開発の方にお願いしていた機能実装の進捗確認不足という形で壁が見えた。
自分が企画・依頼した機能であるにも関わらず、進捗状況を確認しようとしていなかったのだ。その結果、実装してくださる開発の方、そのチェックをする別の開発の方に負担をかけてしまった。

なぜ確認しなかったかというと、それは自分の仕事ではないと考えていたからだ。
基本的に私が依頼する仕事は上司がスケジュールを調整する。
だからといって私が確認しないでいいかというとそんなことはなく、適宜開発の方とやりとりをして円滑に進めていかなければならないのだが、私が入ることで変に重複してスケジュール確認が発生しては余計に面倒だと思っていた。また、必死で開発していて、開発側のマネージャも見ているのだから、よく状況を分かっていない私が調整に入ろうとしても事態をよくできないだろうと考えた。


と、小賢しく自分なりに状況を考えているつもりだけれど、そういう話ではないことは自分でも分かっている。
要は自分が入っていくことで誰かとのきまずいやりとりが発生することが怖くて、どうしても避けたいのだ。自分がきまりの悪い思いをしたり恥をかいたり、気持ちがざわざわすることがいやだ。だから狭く線を引いて、他人と距離を取ろうとする。
これでは私が憧れる“自分のことより他人のことを一番に考えられる大人”の逆なので、大変かっこわるいのだけれど。。

そもそもなぜそんなに簡単に気持ちがざわざわするかというと、人との関わりに慣れていないこと、自尊心が低いことが原因だと思う。


だったらさっさと人との関わりを増やせばいいのである。
まずは人と関わるときにこの壁をしっかり認識して、一歩踏み出すべき時に気付こうと思う。

2013年2月3日日曜日

スキル

もうすぐ26歳になる。
なんらかの仕事のスキルを身につけるにあたり、そろそろラストチャンスになるような気がしている。


そもそもなんのためにスキルを身に付けたいのか。なぜスキルを身に付けたいのか。
それははっきりしていて、役に立ちたいからだ。
役立っているという実感がないと、私はハッピーになれないと思う。

レベルの高い技術をもって、誰かのやりたいことを手助けする。カタチにする。
そういう役立ち方にすごく憧れる。



一方で、genelaristになるという道もある。
幅広い範囲を見て情報を集め、組み立て、施策を立てる。
今の会社で担当していることに近い。
それはいやな言い方をすると、誰でもできることだ。
誰でもできることなら、うまくできるのは地頭が良く、頭の回転が速い人だ。
そこで役立てるように能力を伸ばそうと考えると、頭を良くしたいということになってしまう。
身に付けるスキルがあるとすると、情報の集め方、分析能力ということになるだろうか。
それでもひたすらにスキルを身に付け、レベルアップができるような気がしない。

だから私は、役に立てるようなスキルを身に付けたい。


スキルといってもどんなスキルか。
いろんな種類があるけど、範囲を広げまくってもしゃあない。
いま見ている範囲は狭いけれど、その中から選べばいいと思う。
いきなり陶芸のスキルを身に付けてどうするのだ。

今自分が見ている範囲は下記の4つくらい。
自分にとって向いているものを考えると、この中だとデザインだと思いたい。
単純にかっこいいから憧れる。
後は消去法だ。
プログラミングは論理的な思考が足りず、向いているとは思えない。クリエイティブは才能が要る。UXはなに?人間工学とか、どんな素地が必要かさえ分からない。
・プログラミング
・デザイン
・UX
・クリエイティブ(コピーライティング、広告)


どうしたら身に付けられるかは、社内のデザイナーさんに相談しながら具体的に知っていこうと思う。
最初の頃は学校に通いつつアルバイト、最低限のスキルが身に付いたらデザイン系の会社で丁稚奉公、という形がよさそう。



今の会社は最高だけど、スキルのない人間にはつらい。
みんなそれぞれ、前職で身に付けたスキルで役に立っている。
新卒でも、開発であれば仕事をしながら専門的な技術を身に付けているように見える。
なぜマーケティング・ユーザアクティベーションでは同じことが言えないんだろうか・・・。隣の芝生は青いっていうだけなのか。


もう少しじっくり考えてみて、客観的な意見も聞いて判断しようと思う。

2013年1月20日日曜日

自分が価値伝達のボトルネックになっちゃいけない

先輩社員さんとランチでお話してもらって、少し目が覚めた。


違う部署の先輩が、私が今悩んでいることを乗り越えた経験について以前話されていたことを思い出して「とりあえずランチでお話聞かせてください!」とお願いしたら、快く話を聞かせてくださった。

悩みというのは、目標達成のためユーザさんにいろいろPUSHしなければならないことがあるけれど、うっとうしく感じるひとも多いのでは?と考えて踏みとどまってしまうことだ。
その先輩も以前は同じように考えてPUSHしきれなかったそうだが、考え方を変えることで必要なことはちゃんとお願いできるようになったとおっしゃっていた。
結局サービスを利用した方がユーザさんのためになるので、目の前のちょっとした抵抗感などは気にしない方がいい、という考え方の変化だったと記憶していた。
そうは言っても・・・とうじうじ考えだしてしまったので、詳しくお話を伺ってみようと思った次第。

直接伺った結果、大筋は合っていたけど、“結局ユーザさんのためになる”ことの他にも大事な考え方があることを知った。
それは、サービスの価値を伝えるためには自分のちっぽけなプライドや感情は捨てるということだ。
私はそれをぼんやり意識しつつもやっぱり自分を守ろうとしすぎていたので、はっきり言葉にされて目が覚めた。
守ってる場合じゃなかった。


その先輩も私も、サービスの価値を伝えるフロントに立っているひとで、その後ろには開発・企画・マーケティングなど、いろんなひとの熱意や力がある。
そんなひとたちが作り出したサービスの価値を、私がボトルネックになって伝わらない、ということがあっちゃいけない。伝えられるのはフロントに立っている者だけだ。

そんなお話を伺って、いまの自分の姿勢が恥ずかしくなったし、他のひとたちに対して申し訳なくなった。
ちゃんと周りを見て、長期的な目的を見て動こう。


しかしその先輩は、私が入社したての時に話してもらっていた印象とは全然変わった。
失礼ながら、成長されているんだなあと思いました。

映画化するなら

もしなにかを映画化するなら、五味太郎さんの絵本をDisneyのFantasia調に映像化したい。

または原丈人さんのドキュメンタリーだな。


ノルウェイの森」を映画化するくらいなら、他にもっと映画にすべきものがあると思っただけです。

2013年1月17日木曜日

危機感

危機感が足りないせいでスピードが遅いという指摘を受けた。
確かに、以前も同じような指摘を受けて対策をしたはずなのに、明らかにスピードは早くなっていなかった。


前の部署にいたときも結果を出せておらず、その理由は“コミットが足りない”だと思っていた。
その時、周囲は「漠然とした“やる気”のせいにするのは良くない。具体的に変えられるところを考えろ」とアドバイスをくださった。
それでも私は「とはいっても要は気持ちなのでは・・・?」と疑っていた。

今、逆の指摘をいただいてみると、「とはいえ、気持ちだけじゃなくてやり方を変えない限りスピードは変わらないな」と感じる。あまのじゃく。。。


異なる視点のご指摘を少し理解できた今、気持ちはどっちでもいいけれど、施策スピードや結果などのアウトプット、そしてそのもとになる判断軸が結果的に変わっていればいいと感じている。
判断軸を「スピード」に変えるのはすぐにできる。
ただ、具体的な行動を変えるには、自分なりの新しいルールが必要だ。
ということで、基本的すぎて恥ずかしいけれど下記のルールを1週間やってみる。
1週間後に振り返る。

・Yammerは自分が決めたときしか見ない(返信が遅れても気にしない)
・自分へのタスクが振られたのを見つけたら、即座に反応する
・自分が一番貢献できる施策を四六時中考える

2013年1月14日月曜日

大南信也さんのご講演を聞いて

グリーンバレー理事長大南さんのご講演を聞く機会に恵まれた。
ひと言ひと言がとても重くて、素晴らしい刺激をいただいた。

 一番心に残ったのは、「せっかく生をいただいたんだから、(神山の元気がなくなっていくのを)座視していられない。」 という言葉だった。
そこにはもう自分の欲とかはなくて、ただ自分の生まれ育った大好きな地域のことを思っているんだと分かり感動した。


■グリーンバレーについて
NPO法人グリーンバレー とは、アートによる地域再生、移住支援活動、棚田復活への取組などを通して、過疎化で元気がなくなった徳島の地域再生に取り組んでいる団体。
大南さんはその理事長として何十年も活動を続けてきている方だ。


■方法
講演では、どのような考え方や方法で地域再生に取り組んできたのか伝えてくださった。
とても勉強になったので書き残しておく。

・逆算
すぐに動けないのは目指す姿を強くイメージできていないからだ。
10年後、20年後にどんな状態を目指すか具体的に設定してそこから逆算することで、今やらなければならないことがはっきり見えてくる。

・分かるように伝える
具体的な目標や経過点での目標値を設定するだけでは十分じゃない。
そこからひとを巻き込んで一緒に考えてもらうには、誰もが分かるような数字に落とさなければならない。
町全体の子どもの数で目標を伝えられてもぴんとこない。1クラスあたり何人になるかという数字に落としてみて初めて実感を持ってもらうことができ、真剣な議論ができる。

・なにがあるか<誰がいるか
過疎化している地方には予算やアトラクションはない。
でもおもしろいひとがいれば、そのひとに惹かれておもしろいひとがどんどん集まってくる。
そのひとたちがおもしろいものを作り、地域の魅力を作っていってくれる。
おもしろいひとに出会ったら、すぐに仕事にはならなくてもつながっておく。
敢えて仕事につなげようとしなくても、タイミングが合うときに自然と仕事になる。

・言葉の置き換え
ニュースなどで得た情報は全て自分ごとに言葉を置き換える。
企業が消費者とつながろうとする取り組みをニュースで読んだら、“企業” を“自治体”に、“消費者”を“移住者”に置き換えればアイデアになる。
10年もこのような置き換えを訓練していれば、必ずアイデアを作れるようになる。

・リーン
全体を通じて、リーンな姿勢が強く感じられた。
やらない理由を探してる暇があったらまず一歩を踏み出す。前例がなくてできないならなんとかして前例を作る。まず始めてみて、うまくいかなさそうなところがあれば走りながら直す。
一つ一つのエピソードに“リーンスタートアップ”の姿勢が表れていて、そんな言葉が普及する前から自然に実践されてきたことが分かった。


■非連続さ
このひとは今の自分から見て非連続だと思った。がんばって成長しても、その成長の延長線上にはいない。
でもおっしゃっていること自体にはあまり非連続な要素がなくて不思議だと感じた。
まずは一歩を踏み出して改善しながら続けていけば、どんどんおもしろくなっていく、というような連続的なお話をされているのに、大南さんご自身の魅力は並外れている。
今の神山にとてもおもしろいひとが集まったりメディアでも話題になったりしているのは、もちろん上記のような取り組みがあったためだけれど、まずは大南さんの魅力が引き寄せていることだと思う。

結局どこからその非連続な魅力が生まれているのか分からないけれど、私も真摯にやれることをやろうと思った。




シラノ

2日連続で鹿賀丈史さん主演のミュージカル「シラノ」を観てきた。
1日目は濱田めぐみさん・田代万里生さんの回、2日目は濱田めぐみさん・平方元基さんの回。
鹿賀丈史さんの魅力を堪能できる、すばらしい舞台だった。
でも私にはあの魅力をうまく言葉にできない。深みがありすぎてよく分からないんだと思う。
“甘さ”という魅力だけであれば「ラ・カージュ・オ・フォール」の方が分かりやすい。
シラノは人生や生き方そのものだから、レミゼみたいに何度も観て理解したいと思った。


■ロクサーヌ
観ていて一番びっくりしたのはロクサーヌというキャラクターだった。
愛のためなら大胆に嘘をつき周りを翻弄する、したたかでかわいらしい役。
無邪気な態度との差が恐ろしい。
本当に愛されて育って、愛に生きると決めていたら、あれほどしたたかになれるのかしらん。

濱田さんくらい懐が深いからこそ、したたかさと無邪気さの両面を自然に表現できるんだろうなと思い、ますます濱田さんのファンになってしまった。


■ガスコン
この舞台で改めて思ったのは、ミュージカルによく出てくる誇り高き男たちの歌が自分は好きなんだなということ。
「三銃士」の“ひとりはみんなのために”もたまらなく好きだし、「レ・ミゼラブル」の“民衆の歌”、“カフェソング”で泣いた。今回の“我らガスコン”や“栄光の道”の歌もすぐに気に入ってしまった。
単純で、くだらないことで陽気に騒いだりして、いわゆる男子っぽい感じだけど、誇りや仲間のことについてはしっかり筋が通っていて凛々しい。
そういうひとたちが仲間といっしょに背筋を伸ばして一生懸命歌う歌は最高にかっこいいと思う。
誇りというより、あのホモソーシャル感が好きなのかもしれない。


■テーマ
自由と誇りを重んじるシラノの心意気について考えた。
シラノは自分が大事にすべきことを知っていたから、それらを守るためなら嫌われることを全く厭わなかった。それはロクサーヌも同じだと思う。
それにシラノもロクサーヌも、愛する人を一番大事に考えていて、自分のことは一番にこなかった。
クリスチャンは逆で、周囲にどう思われるか、どうしたら自分がロクサーヌに好かれるか考えていたと思う。

手前味噌だけど、うちの会社のひとたちもそういう部分でシラノやロクサーヌに通じるところがあるからかっこいいひとが多いんだと思う。

じゃあ自分はどうしたらそういう姿勢を持てるか。
彼らとの大きな違いは、自分の価値観についていまいち無自覚なところかなと思う。
自分がどうしても大事にしたいことはなにか、仮にでも言葉にしてみたら、それらを守ろうとする思いも違ってくるはず。
もっといろんな考え方に触れたり内省したりして、軸を持たなければと思う。


あと、中身が大事とは思いつつも、結局少なくともきっかけは外見だな。と肝に銘じました。

2013年1月3日木曜日

年末年始の過ごし方

適度にだらだら、適度に勉強したりインプットしたりの時間を取れて、かなり快適な過ごし方だった。
でも来年は、もっと人と関わる年明けにしようと思いましたよ。

新春浅草歌舞伎

抽選に当たって観てきました、新春浅草歌舞伎
歌舞伎は何度か観たことがあるけど、海老蔵さんの演技ははじめてで相当楽しみにしていた。

演目は下記の3つ。
勧進帳での海老蔵さん(弁慶)の姿に心底感動してしまった。

・毛谷村(彦山権現誓助太刀)
・口上
・勧進帳(歌舞伎十八番の内)


■ 口上
新年のご挨拶、ということで、勧進帳にまつわる思い出や意気込みなどを話された後、市川家にのみ伝わる“にらみ”を披露された。


・話しぶり
古風な言葉遣いだけど今の話し言葉とあまり変わらない話しぶりが基本で、要所要所で歌舞伎調の言い回しに変わる。なんともいえないバランス。
(「私がこの舞台に立つのは14年ぶりでございまする。それでは“ご覧にいれまーしょーうーー!”」みたいな。)

このくらいの話しぶりを聞くのは初めてで、江戸末期の手代さんなどはきっとこんな感じだったんだろうなと初めて得心した。
落語はもっとべらんめえ口調で作られた感じを受けていたけれど、歌舞伎の口上はもっと自然だったので。


・イエの重さ
本当に家を重視する世界だと思った。
過去の新春歌舞伎を振り返るとき、“〇〇おじさんが演じたあの役”とか、“先代である父に教えを乞う”とか、家の中の話が多く、ほぼ身内だけで受け継がれていく伝統なんだと改めて感じさせられた。


・にらみ
よく見る歌舞伎役者さんの浮世絵は顔のパーツを強調して描いたものだと思っていたけど違った。あれは写実だったんですね。
人間ってあんな顔するんだ、あの路線を突き詰めようとがんばってきたんだ、と思うとすごい。

ああやって自信と誇りを持ってやりきられると心底すごいと思えるけれど、やる方がちょっとでも疑ったら成立しないと思う。
長い歌舞伎の歴史の中、 「こういう顔芸ってどうなんだろう・・・」と人知れず悩んだ役者さんもいるんじゃないかしらん、と余計なことを考えてしまった。



■勧進帳
弁慶役の海老蔵さんの気迫が凄まじかった。
楽器みたいに低く低く響く声、きれっきれな舞、呵々大笑する堂々たる大声、などなど、風格がすばらしい。
歌舞伎界を背負って立つという覚悟が据わっている。

特にこの演目は楽器の奏者さん方も舞台上にずらりと並んでいて、みなさんの努力・生活も海老蔵さんの肩にかかっているように見えた。
彼は歌舞伎以外の仕事をするとき、その現場で見たことをどうやって歌舞伎に還元しようかと必死で考えていると聞いたことがある。
腹をくくって自分のミッションに真摯に向き合うというのは、こんなにもかっこいいのかと感動した。
見習おう。


最後に、本当に感動したわりに途中で結構寝てしまったことを懺悔します。
他の人のじゃまになってなかったらいいのだけれど。。。申し訳ありませんでした。




2013年の目標

新年明けましておめでとうございます。

今年もブログを続けてみる。
ということで、今年の目標を書き留めておく。


■大テーマ
非連続な成長

一番ざっくりした目標として掲げるのは、これまでにない非連続な成長。
今年こそ、弊社サービスが一気に成長する年にするので、それを引っ張れるように自分が大きく成長したい。
成長はしたいといつだって考えてきたけど、この大きな変化に伴走するには、成長するということにも腹をくくらなければ。
相当な覚悟がなければ成し遂げられない“非連続”に挑戦する年にしてみる。


■小テーマ
・Eliminate ego
自分が短期的にどう思われるのかを気にしない。
変なプライドは捨て、ただひたすら結果にこだわる。
自分を守ろうとするのではなくオープンになり、仕事を回しやすいようにコミュニケーションを取る。

・Put others first (Accept myself and stay happy) ((like Joe))
自分よりもまわりの人のことをいつも一番に考える。
そのためには、自分に過剰な期待を持ってコンプレックスを持ち過ぎちゃいけない。
現状の自分を受け入れて、いつも機嫌よくする。気持よく過ごしつつ向上心を持ち続ける。

・Hold strong will,  clear intent, healthy confidence
サービスに情熱を注ぎ、 その時々で自分が一番貢献できることは何か考え抜く。
考え抜いたことに対しては、自信を持って(フリだけでも)推し進める。


・・・日本語で書くの恥ずかしい、と思ったけど、英語でも恥ずかしいことに変わりはなかった。。
この3つができたら結構非連続だと思う。

具体的な取り組み・中間目標を考えて実行していく。

2013年1月1日火曜日

エゴ

散歩していたら、お年寄りが倒れているのを見つけた。何度も起き上がろうとして、でもうまくいかずにいる様子。近付くとすっかりうずくまってしまっていた。

近寄ったはいいけれど、申し訳程度に「大丈夫ですか?」と聞いてみたきり、おろおろして何もできないでいた。
結局通りかかったおじいさんと話して交番までお巡りさんを呼びに行ったけど、声をかけてくださらなかったらなにもできずおろおろしたままだったと思う。


要は気恥ずかしいとか間違った対応をしちゃいけないとかごちゃごちゃ考えて、この期に及んで行動しない理由を探していた。
そういういらないエゴは、これまでずっと邪魔に思いつつも人一倍強く持っているものだ。
今年こそはエゴを捨てて本当に大事な行動をしなきゃいけないということを教えてくれた、象徴的な年明けだったように思う。がんばろう。


その後おじいさんはお巡りさんに助けられて大事には至らなかったよう。
なんにせよ、ちょっとは助けになれてよかった。